これから開《ひら》けるのだそうでげすなア、斬髪《ざんぱつ》になってしまえば、香水《こうずい》なども売れますぜ、お遣《や》りなさい結構でげすな、それに前橋へ県が引けると云うからそうなれば、福々《ふく/\》ですぜ、宿屋は何処《どこ》へお泊りです」
助「馬喰町《ばくろちょう》にも知った者は有るが、家《うち》を忘れたから、春見様が丁度|彼所《あすこ》に宿屋を出して居るから、今着いて荷を預けて湯に入《は》いりに来た」
文「何《な》んでげす、春見へ、彼処《あすこ》はいけません、いけませんよ」
助「いかねえって、どうしたんだ」
文「あれは大変ですぜ、身代限りになり懸って、裁判所沙汰が七八つとか有ると云って、奉公人にも何《なん》にも給金を遣《や》らないから、皆《みん》な出て行ってしまって、客の荷でも何でも預けると直《す》ぐに質に入れたり何《なに》かするから、泊人《とまりて》はございません、何か預けるといけませんよ」
助「それは魂消《たまげ》た、春見様は元御重役だぜ」
文「御重役でもなんでも、今はずう/″\しいのなんて、米屋でも薪屋《まきや》でも、魚屋でも何でも、物を持って往《ゆ》く気づかいありません」
助「そりゃア知んねえからなア」
文「何か預けた物がありますか」
助「有るって無《ね》えって、命と釣替《つりげえ》の」
と云いながら出に掛ったが、玻璃《がらす》でトーンと頭を打《ぶっ》つけて、慌《あわ》てるから表へ出られやしません。
文「玻璃戸が閉っていて外が見えても出られませんよ、怪我《けが》をするといけませんよ」
助「なに此の儘《まゝ》では居《い》られない」
と云うので取って返して来て、がらりと明けて中へ這入って。
助「御免なせえまし」
と土間から飛上って来て見ると、其処《そこ》らに誰も居りませんから、つか/\と奥へ往《ゆ》きますと、奥で二人で灯火《あかり》を点《つ》けて酒を飲んでいたが、此方《こちら》も驚いて。
丈「やアお帰りか」
助「先刻《さっき》お預け申しました三千円の金を、たった今|直《す》ぐにお返しを願います」
と云うから番頭驚いて。
又「あなたは髪も結わず、湯にもお入りなさらんで何うなさいました」
助「髪も湯も入りません、今横浜に安い物が有るから、今晩の中《うち》に往って居《お》らなければならんから、直ぐに行《ゆ》くから、どうか只今お預け申しました鞄《かばん》を証書とお引換《ひきかえ》にお渡しを願います」
と紙入から書付を出して春見の前へ突付けて。
助「どうか三千円お戻しを願います」
丈「それは宜《い》いが、まア慌てちゃいけん、横浜あたりへ往って、あの狡猾世界《こうかつせかい》でうか/\三千円の物を買えば屹度《きっと》損をするから、慌てずにそういう物があるか知らぬけれども、是から往って物を見て値を付けて、そこで其の内を五百円買うとか二百円買うとか仕なければ、固《もと》より慣れぬ商売の事だから、慌てちゃアいかん、何ういう訳だかまア緩《ゆっく》りと昔話も仕たいから、まア泊《とま》んなさい」
又「只今主人の申します通り、横浜は狡猾な人の多く居ります所だから、損をするのは極《きま》って居りますゆえ、三千円一度に持って往って損をするといけないから、まア/\今晩は緩《ゆる》りとお泊りなさいまし、して明日《みょうにち》十二時頃からお出《い》でなすって、品物を見定めて、金子も一時《いちじ》に渡さずに、徐々《そろ/\》持って往って、追々とお買出しをなすった方が宜しゅうございます」
助「それは御尤様《ごもっともさま》でございますが、親切な確かな人に聞いた事でございます、今夜の内に何うしても斯うしても横浜まで往《ゆ》かなければ成らぬ、売れてしまわぬ前に私《わし》が往《ゆ》けば安いというので、確かなものに聞きました、どうかお願いでございますからお返しなすって下せい、成程文吉の云った通り是だけの大《でか》い家《うち》に奉公人が一人も居ねいのは変だ」
丈「何を」
助「へい、なに三千円お返し下さい」
丈「返しても宜しいけれどもそんなに慌てゝ急がんでも宜《い》いじゃないか、先《まず》其の内千円も持って行ったら宜《よ》かろう」
助「へい急ぎます、金がなければならぬ訳でがんすから、何うかお渡し下さい」
と助右衞門は何うしても聞き入れません。こゝが妙なもので、三千円のうち、当人に内々《ない/\》で百円使い込んで居《い》るとこでございますから、春見のいう言葉が自然におど付きますから、此方《こちら》は猶更《なおさら》心配して、
助「さアどうかお返しなすって下せえ、今預ったべいの金だから返すことが出来ないことはあんめい」
丈「金は返すには極《きま》って居る事だから返すが、何ういう訳だか慌てゝ帰って来たが、お前が損をすると宜《よ》くないからそれを心配するのだ」
又
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