》と思召《おぼしめ》され、女房《にょうぼ》に持ってはくださるまいか、いやさ敵同志の丈助の娘を女房に持たれまいが、さゝ御尤《ごもっと》もでござるが彼《かれ》は我《わが》実子《じっし》にあらず、我《わが》剣道の師にて元前橋侯の御指南番《ごしなんばん》たりし、荒木左膳《あらきさぜん》と申す者の娘の子なり」
清「ふう、それを何うしてお前さんの娘にはしなすったえ」
丈「さゝ其の仔細お聞き下され」
と苦しき息をつきまして、
丈「今を去ること十九年以前、左膳の娘|花《はな》なる者が、奥向《おくむき》へ御奉公中、先《せん》殿様のお手が付き懐妊の身となりしが、其の頃お上通《かみどお》りのお腹様《はらさま》嫉妬深《しっとふか》く、お花を悪《にく》み、遂《つい》に咎《とが》なき左膳親子は放逐《ほうちく》を仰付《おおせつ》けられ、浪々中《ろう/\ちゅう》お花は十月《とつき》の日を重ね、産落《うみおと》したは女の子、母のお花は産後の悩みによって間もなく歿《ぼっ》せしため、跡に残りし荒木左膳が老体ながらも御主君《ごしゅくん》のお胤《たね》と大事にかけて養育なせしが、其の後《ご》左膳も病に臥《ふ》し、死する臨終《いまわ》に我《われ》を枕元に招き、我《わ》が亡《な》き跡にて此の孫を其の方《ほう》の娘となし、成長の後《のち》身柄《みがら》ある家《いえ》へ縁付《えんづ》けくれ、頼む、と我師《わがし》の遺言《ゆいごん》、それよりいさを養女となせしが、娘と申せど主君のお胤なれば、何とぞ華族へ縁付けたく、それに付《つい》ても金力《きんりょく》なければ事|叶《かな》わずと存ぜしゆえ、是まで種々《しゅ/″\》の商法を営《いとな》みしも、慣れぬ事とて皆《み》な仕損じ、七年|前《ぜん》に佐久間町へ旅人宿《りょじんやど》を開《ひら》きし折《おり》、これ重二郎殿、君《きみ》の親御《おやご》助右衞門殿が尋ね来て、用心のため預けられた三千円の金を見るより、あゝ此の金があったなら我望《わがのぞみ》の叶う事もあらんと、そゞろに発《おこ》りし悪心より人を殺した天罰覿面《てんばつてきめん》、斯《かゝ》る最後を遂《と》げるというも自業自得《じごうじとく》、我身《わがみ》は却《かえ》って快《こゝろよ》きも、只|不憫《ふびん》な事は娘なり、血縁にあらねば重二郎どの、女房に持ってくださらば心のこさず臨終《りんじゅう》いたす、お聞済《きゝずみ》くだされ」
と血に塗《まみ》れたる両手を合《あわ》せ、涙ながらに頼みます恩愛の情《じょう》の切《せつ》なるに、重二郎と清次と顔を見合わせて暫《しばら》く黙然《もくねん》といたして居りますと、蔵の外より娘のおいさが、網戸を叩《たゝ》きまして、
い「申し、清次さん、此所《こゝ》開《あ》けて下さいまし」
清「おゝ誰だえ」
い「はい、いさでござります、どうぞ開けて、死目《しにめ》に一度逢わせてください」
というから、清次は慌てゝ戸を開けますと、おいさは転《ころ》げ込んで父の膝に縋《すが》り付き、泣倒《なきたお》れまして、
い「もうしお父様《とっさま》、お情《なさけ》ない事になりました、生《うみ》の親より深い御恩を受けました上、斯《こ》ういう事になりましたも皆《み》な私《わたくし》を思召《おぼしめ》しての事でございますから、皆様《みなさん》どうぞ代りに私を殺して、お父様をお助けなされて下さいまし」
と嘆《なげ》く娘を丈助は押留《おしとゞ》め。
丈「あゝこれ、お前を殺すくらいなら、彼《あ》の様《よう》な悪い事はいたさぬわい、只今も願う如く、予《かね》てお前の望みの通り重二郎殿と末長《すえなご》う夫婦になって、我が亡後《なきあと》の追善供養《ついぜんくよう》を頼みます、申し御両君《ごりょうくん》如何《いかゞ》でございます[#「ございます」は底本では「ごいざます」と誤記]」
清「ふう、どうして重二郎さんに此の家《や》の相続が出来ますものかね」
重「それに貴方《あなた》が変死した後《あと》で、お上《かみ》への届けもむずかしゅうござりましょう」
丈「その御心配には及びませぬ、と申すは七ヶ年以前、貴君《あなた》の親御より十万円|恩借《おんしゃく》ありて、今年返済の期限|来《きた》り、万一延滞|候《そろ》節は所有地|家蔵《いえくら》を娘|諸共《もろとも》、貴殿へ差上候《さしあげそろ》と申す文面の証書を認《したゝ》めて、残し置き、拙者《せっしゃ》は返金に差迫《さしせま》り、発狂して切腹致せしとお届けあらば、貴殿《きでん》へ御難義《ごなんぎ》はかゝりますまい」
と云いながら硯箱《すゞりばこ》を引寄《ひきよ》せますゆえ、おいさは泣々《なく/\》蓋《ふた》を取り、泪《なみだ》に墨を磨《す》り流せば、手負《ておい》なれども気丈《きじょう》の丈助、金十万円の借用証書を認めて、印紙《いんし
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