《い》でのたびに一寸《ちょっと》逢って上げて下さい、此方《こっち》でも首尾《しゅび》して待って居りますから、それも出来ずば、月に三度|宛《ずつ》も嬢様に逢って上げてくださるように願います」
重「とんでもない事を仰しゃいます、お嬢様は御大家《ごたいけ》の婿取《むこと》り前の独《ひと》り娘、私《わしゃ》ア賤《いや》しい[#「賤しい」は底本では「践しい」と誤記]身の上、たとえ猥《いや》らしい事はないといっても、男女《なんにょ》七歳にして席を同じゅうせず、今|差向《さしむか》いで話をして居《い》れば、世間で可笑《おか》しく思います、若《も》し新聞にでも出されては私ア宜《よ》うがんすが、あなたはお父様《とっさま》へ御不孝になりやんすから、そんな事の無い内に私ア帰《けえ》ります」
兼「あなた、お厭《い》やなら仕方がありませんが、嬢様|何《なん》とか仰《おっ》しゃいな、何故《なぜ》此方《こっち》へお尻を向けていらっしゃいます、宅《うち》でばかり斯《こ》う云おう、あゝ云おうと仰しゃって本当に影弁慶《かげべんけい》ですよ、そうして人の前では何も云えないで、私《わたくし》にばかり代理を務《つと》めさせて、ほんとうに困りますじゃア有りませんか、ようお嬢様」
い「誠に申しにくいけれども、どうか御膳《ごぜん》だけ召上ってください、若《も》しお厭《い》やならばお母様《っかさま》はお加減が悪くていらっしゃるから、お肴《さかな》を除《の》けて置いて、あのお見舞に上げたいものだねえ」
兼「あなた召上らんでも、お帰りの時重箱は面倒だから、折詰《おりづめ》にでもして上げましょう、嬢様お話を遊ばせ、私は貴方《あなた》のお母《っか》さんのお眼の癒《なお》るよう、嬢様の願いの叶《かな》うように、一寸《ちょっと》薬師様へお代参《だいさん》をして、お百度を五十度ばかりあげて帰ってまいって、まだ早い様なれば、又五十度上げて来ます、直《す》ぐに往って来ます」
と仲働《なかばたらき》のお兼が気をきかし、其の場を外《はず》して梯子《はしご》を降りる、跡には若い同士の差向《さしむか》い、心には一杯云いたい事はあるが、おぼこ気《き》の口に出し兼ね、もじ/\して居ましたがなに思いましたか、おいさは帯の間《あいだ》へ手を入れて取出す金包《かねづゝみ》を重二郎の前に置き。
い「重さん、これは誠にお恥かしゅうございまして、少しばかりでございますが、お母《っか》さまが長い間お眼が悪く、貴方《あなた》も御苦労をなさいますと承わりましたから、お足《た》しになるようにと思いますが、思うようにも行届《ゆきとゞ》きませんが、これでどうぞ何かお母さんのお口に合った物でも買って上げて下さいまし、ほんの少しばかりでございますが、お見舞の印《しるし》にお持ちなすって下さいまし」
重「へい/\此間《こないだ》はまア三円戴き、それで大《おお》きに私《わし》も凌《しの》ぎを附けやしたが又こんなに沢山金を戴いては私済みやせんから、これを戴くのは此間の三円お返し申した上のことゝ致しましょう」
い「そんなことを仰しゃいますな、折角持って来たものですからどうか受けてください、お恥かしい事でございますが、私《わたくし》は貴方《あなた》を心底《しんそこ》思って居りまして済みません、あなたの方《ほう》では御迷惑でも、それは兼が宜《よ》く存じて居ります、此の間《あいだ》お別れ申した日から片時《かたとき》も貴方の事は忘れません」
と云いながら指環《ゆびわ》を抜取りまして、重二郎の前へ置き。
い「これは詰らない指環でございますが、貴方《あなた》どうぞお嵌《は》めなすって、そうして貴方の指環を私《わたくし》にくださいまし、あなた若《も》し嵌めるのがお厭《い》やなら蔵《しま》って置いてくださいまし、私は何も知りませんが、西洋とかでは想った人の指環を持って居《お》れば、生涯其の人に逢う事がなくても亭主と思って暮すものだと申します、私はほんとうに貴方を良人《おっと》と思って居りますから、どうぞこれを嵌めてください」
と恥かしい中から一生懸命に慄《ふる》えながら、重二郎の手へ指環を載せ、じっと手を握りましたが、此の手を握るのは誠に愛の深いもので、西洋では往来で交際の深い人に逢えば互《たがい》に手を握ります、追々《おい/\》開《ひら》けると口吸《こうきゅう》するようになると云いますが、是は些《ち》と汚《きたな》いように存じますが、そうなったら圓朝などはぺろ/\甞《な》めて歩こうと思って居ります。今おいさにじっと手を握られた時は、流石《さすが》に物堅き重二郎も木竹《きたけ》では有りませんから、心嬉しく、おいさの顔を見ますと、蕾《つぼみ》の花の今|半《なか》ば開《ひら》かんとする処へ露《つゆ》を含んだ風情《ふぜい》で、見る影もなき重二郎をば是ほどま
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