、可愛《かわ》いゝ同志が夫婦になり、失いました宝が出るという勧善懲悪《かんぜんちょうあく》の脚色《しくみ》は芝居でも草双紙《くさぞうし》でも同じ事で、別して芝居などは早分《はやわか》りがいたしますが、朝幕《あさまく》で紛失した宝物《たからもの》を、一日掛って詮議《せんぎ》を致し、夕方には屹度《きっと》出て、めでたし/\と云って打出しになりますから、皆様も御安心でお帰りになりますが、何も御見物と狂言中の人と親類でも何《なん》でもないに、そこが勧善懲悪と云って妙なもので、善人が苦しむ計《ばか》りで悪人が終《しま》いまで無事でいましては御安心が出来ません。然《しか》し善という事はむずかしいもので、悪事には兎角《とかく》染《そま》り易《やす》いものでござります。彼《か》の春見丈助利秋は元八百石も領《りょう》しておりました立派な侍でありながら、利慾《りよく》のため人を殺して奪いました其の金で、悪運強く霊岸島川口町で大《たい》した身代になりましたが、悪事というものは、何《ど》のように隠しても隠し遂《おお》せられないもので、どうして彼《あ》の人があのように金が出来たろう、何《なん》だか訝《おか》しいねえ、此の頃《ごろ》こういう事を聞いたが、万一《ひょっと》したらあんな奴が泥坊じゃアないか知らんと、話しますを聞いた奴は、直《すぐ》にそれを泥坊だと云い伝え、又それから聞いた奴は尾に鰭《ひれ》をつけて、彼《あ》れは大泥坊で手下が三百人もあるなどと云うと、それから探索掛《たんさくがゝり》の耳になって、調べられると云うようになるもので、天に口なし、人を以《もっ》て云わしむるという譬《たとえ》の通りでございます。彼《か》の春見は清水助右衞門の悴《せがれ》重二郎がいう通り、利子まで添えて三千円の金を返したのは、横着者《おうちゃくもの》ながら、どうか此の事を内聞《ないぶん》にして貰いたいと、それがため別に身代に障《さわ》る程の金高《きんだか》でもありませんから、清く出しましたが、家根屋《やねや》の清次が助右衞門の死骸を出せと云うに驚き内心には何《ど》うして清次が彼《か》の助右衞門を殺した事を知っているかと思い、身を慄《ふる》わせて面色《めんしょく》変り、後《うしろ》の方へ退《さが》りながら小声になって。
丈「清《せい》さん、あゝ悪い事は出来ないものだ、其の申訳《もうしわけ》は春見丈助必らず致しま
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