西洋の丁稚
三遊亭円朝

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)若春《わかはる》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|席《せき》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なに/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 エー若春《わかはる》の事で、却《かへ》つて可笑《をかし》みの落話《おとしばなし》の方《はう》が宜《い》いと心得《こゝろえ》まして一|席《せき》伺《うかゞ》ひますが、私《わたくし》は誠に開化《かいくわ》の事に疎《うと》く、旧弊《きゆうへい》の事ばかり演《や》つて居《を》りますと、或《あ》る学校《がつかう》の教員《けうゐん》さんがお出《い》でで、お前《まへ》はどうも不開化《ふかいくわ》の事ばかり云《い》つて居《ゐ》るが、どうか然《さ》うなく開化《かいくわ》の話をしたら宜《よ》からう、西洋の話をした事があるかと仰《おつ》しやいました、左様《さやう》でございます、マア続《つゞ》いた事は西洋のお話もいたしましたが、まだ落話《おとしばなし》はいたしませんと申《まう》したら、落話《おとしばなし》で極《ごく》面白《おもしろ》い事があるから一|席《せき》教《をし》へて上《あ》げようといふので、教《をそ》はり立《たて》のお話しでございます、拙《まづ》い処《ところ》は幾重《いくへ》にもお詫《わび》をいたして弁《べん》じまする。
 西洋《あちら》の子供は至《いたつ》て利口《りこう》だといふお話で。或《あ》る著述《ちよじゆつ》をなさるお方《かた》がございます。是《これ》はやはり日本《こちら》でも同じ事で、著作《ちよさく》でもなさる方《かた》は誠に世事《せじ》に疎《うと》いもので、何所《どこ》か気《き》の附《つ》かん所があります、学問《がくもん》にもぬけてゐても何《なに》かに疎《うと》いところがあるもので、伊太利《いたりー》の著作家《ちよさくか》で至《いた》つて流行《りうかう》の人があつて、其処《そこ》へ書林《ほんや》から、本を誂《あつ》らへまするに、今度《こんど》は何々《なに/\》の作《さく》をねがひますと頼《たの》みに行《ゆ》きまする時に、小僧《こぞう》が遣物《つかひもの》を持つて行《ゆ》くんです。処《ところ》が西洋《あちら》では遣物《つかひもの》を持つて行《い》つた者に、使賃《つかひちん》といつて名を附《つ》ける訳《わけ》ではないが、弗《どる》の二ツ位《ぐらゐ》は呉《く》れるさうでございます。然《しか》るに其《そ》の作者先生《さくしやせんせい》、物に気《き》の附《つ》かん先生でございまして、茫然《ぼんやり》として居《を》りますから使賃《つかひちん》をやらない。書林《ほんや》の小僧《こぞう》が怒《おこ》つて、あんな吝嗇《しみつたれ》な奴《やつ》はありやアしない、己《おれ》が行《ゆ》く度《たび》に使賃《つかひちん》を呉《く》れた事がない、自分の家《うち》ならばもう行《ゆ》きやしないと思つても、奉公《ほうこう》の身《み》の上《うへ》だから仕方《しかた》がなく、マア使《つかひ》にも行《い》かなければならない。其次《そのつぎ》行《い》つた時に、腹《はら》が立ちましたからギーツと表《おもて》を開けて、廊下《らうか》をバタ/″\駈出《かけだ》して、突然《いきなり》書斎《しよさい》の開《ひら》き戸《ど》をガチリバタリと開《あ》けて先生の傍《そば》まで行《ゆ》きました、先生は驚《おどろ》いて先「誰《だれ》だえ。小「へえ今日《こんにち》は。先「何《なん》だ、人が書物《かきもの》をして居《ゐ》る所へどうもバタ/″\開《あ》けちやア困るぢやアないか。小「へえ、宅《うち》の主人《しゆじん》が先生へ是《これ》を上《あ》げて呉《く》れろと申《まうし》ましたから持《も》つて参《まゐ》りました。先「ウム、マア夫《それ》は宜《い》いがね、どうもお前《まへ》何《なん》ぼ使《つかひ》だつて、余《あんま》り無作法《ぶさはふ》過《すぎ》るぢやアないか、能《よ》く物《もの》を弁《わきま》へて見なさい、マア私《わたし》の家《うち》だから宜《い》いが、外《ほか》へ行《い》つて然《そ》んな事をすると笑はれるよ、さア使《つかひ》の仕様《しやう》を僕《ぼく》が教《をし》へて上《あげ》るからマア君《きみ》椅子《いす》に腰《こし》を掛《か》け給《たま》へ、君《きみ》が僕《ぼく》だよ、僕《ぼく》が君《きみ》になつて、使《つかひ》に来《き》た小僧《こぞう》さんの声色《こわいろ》を使ふから大人《おとな》しく其処《そこ》で待つてお出《い》で、僕《ぼく》のつもりでお出《い》でよ。小「へえ、宜《よろ》しうございます。先「エー御免下《ごめんくだ》さい、お頼《たの》み申《まうし》ます。ト斯《か》う静《しづか》に開戸《ひらきど》を開《あ》けなければ往《いか》ない。小「へえー。先「エーお頼《たの》み申《まう》します/\。小僧《こぞう》は、ツト椅子《いす》を離《はな》れて小「ドーレ。先「中々《なか/\》旨《うま》いな、旨《うま》くやるねえ。小「何方《どちら》からお出《い》でだ。先「中々《なか/\》うまいね……エー私《わたくし》は書林《ほんや》から使《つかひ》に参《まゐ》りましたが、先生にこれは誠に少々《せう/\》でございますが差上《さしあ》げて呉《く》れろと、主人に斯様《かう》申《まう》されまして、使《つかひ》に罷《まか》り出《い》でました。小「アー大《おほ》きに御苦労《ごくらう》、折角《せつかく》の思召《おぼしめ》しだから受納《じゆなふ》いたしまする。先「中々《なかなか》旨《うま》いねえ……是《これ》で帰《かへ》りましても宜《よろ》しうございますか。小「マア/\一寸《ちよつと》待《ま》つてお出《い》で、ポケツトヘ手を入れて空《から》ツポウではありますけれども、紙を畳《たゝ》んで、小「これはお使賃《つかひちん》だよ、是《これ》からお忘れでないよ。これで先生も使賃《つかひちん》をやる事を覚《おぼ》え、又《また》小僧《こぞう》さんも行儀《ぎやうぎ》が直《なほ》つたといふお話で、誠に西洋《あちら》の小僧《こぞう》さんは狡猾《かうくわつ》で怜悧《りこう》の処《ところ》がありますが、日本《こちら》の小僧《こぞう》さんは極《ごく》穏当《をんたう》なもので。



底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
   2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
   1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年6月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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