》といつて名を附《つ》ける訳《わけ》ではないが、弗《どる》の二ツ位《ぐらゐ》は呉《く》れるさうでございます。然《しか》るに其《そ》の作者先生《さくしやせんせい》、物に気《き》の附《つ》かん先生でございまして、茫然《ぼんやり》として居《を》りますから使賃《つかひちん》をやらない。書林《ほんや》の小僧《こぞう》が怒《おこ》つて、あんな吝嗇《しみつたれ》な奴《やつ》はありやアしない、己《おれ》が行《ゆ》く度《たび》に使賃《つかひちん》を呉《く》れた事がない、自分の家《うち》ならばもう行《ゆ》きやしないと思つても、奉公《ほうこう》の身《み》の上《うへ》だから仕方《しかた》がなく、マア使《つかひ》にも行《い》かなければならない。其次《そのつぎ》行《い》つた時に、腹《はら》が立ちましたからギーツと表《おもて》を開けて、廊下《らうか》をバタ/″\駈出《かけだ》して、突然《いきなり》書斎《しよさい》の開《ひら》き戸《ど》をガチリバタリと開《あ》けて先生の傍《そば》まで行《ゆ》きました、先生は驚《おどろ》いて先「誰《だれ》だえ。小「へえ今日《こんにち》は。先「何《なん》だ、人が書物《かきもの》をして居《ゐ》る所へどうもバタ/″\開《あ》けちやア困るぢやアないか。小「へえ、宅《うち》の主人《しゆじん》が先生へ是《これ》を上《あ》げて呉《く》れろと申《まうし》ましたから持《も》つて参《まゐ》りました。先「ウム、マア夫《それ》は宜《い》いがね、どうもお前《まへ》何《なん》ぼ使《つかひ》だつて、余《あんま》り無作法《ぶさはふ》過《すぎ》るぢやアないか、能《よ》く物《もの》を弁《わきま》へて見なさい、マア私《わたし》の家《うち》だから宜《い》いが、外《ほか》へ行《い》つて然《そ》んな事をすると笑はれるよ、さア使《つかひ》の仕様《しやう》を僕《ぼく》が教《をし》へて上《あげ》るからマア君《きみ》椅子《いす》に腰《こし》を掛《か》け給《たま》へ、君《きみ》が僕《ぼく》だよ、僕《ぼく》が君《きみ》になつて、使《つかひ》に来《き》た小僧《こぞう》さんの声色《こわいろ》を使ふから大人《おとな》しく其処《そこ》で待つてお出《い》で、僕《ぼく》のつもりでお出《い》でよ。小「へえ、宜《よろ》しうございます。先「エー御免下《ごめんくだ》さい、お頼《たの》み申《まうし》ます。ト斯《か》う静《しづか》に開戸《ひらき
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