取って居ても若く見えます。ずいと出まして、御奉行の方を斜《はす》に向いて坐って居ります。
甲「辨天屋祐三郎抱え紅梅、勇之助代かや、差添《さしそ》うたか」
かや「差添いましてございます」
甲「其の方亭主喜助に毒酒を置いて参った侍は是なる侍で有ろう、篤と面体を見い。近う寄って面体を見い」
ずいと来て、
紅「あらまア何うもまア図々しいじゃア有りまへんか、あんな高い処に昇《あが》って真面目な顔をしてえて上下《かみしも》を着てえてさ、何《なん》だッて此んな悪党に上下なんぞを着せて置くんですよ、牢の中へ入れたんじゃア有りまへんか」
甲「いや前に取押えて入牢申し付けたは清左衞門と申す者じゃ」
是から清左衞門をお呼出しに相成りまして、
甲「兄弟で有るから能く肖《に》て居《い》るが、能く見ろ違うて居るだろう、篤と面体を見定めよ」
という御沙汰で、紅梅は熟々《つく/″\》両方を見較べて清左衞門に向い、
紅「まア何うも済まない、堪忍してお呉んなはいよ、肖《に》てえるったって本当に能く肖て居るんだものを、成程貴方の方が少し老けて居りますが余《あんま》り能く肖て居るからお前《ま》はんだとばかり思って済まない事をしましたが、此ん畜生、宅《うち》の人に毒を盛って是はお上のお上《あが》りの御酒だから惜しいんだなんぞと云やアがって、そんな高い処に上げて置かずに此処《こゝ》へ下《おろ》してお呉んなはいよ、私ゃアしがみ附くよ」
甲「控えろ、仮令《たとい》三寸|不爛《ふらん》の舌頭《ぜっとう》を以て陳じても最早逃れられぬぞ、是なるは番人喜助の女房梅で有る、見覚えが有るか何《ど》うじゃ」
と云われ流石《さすが》の園八郎も差迫って紅梅を見てこう下を向いて居ります。
甲「何うじゃ、是にても尚陳ずるか、相違有るまい何うじゃ」
園「え、恐入りましてございます」
甲「縄打てえ」
と云うとトンと縁から下へ突落《つきおと》されると直《すぐ》にバラ/\と来て縄を掛ける。最早|遁《のが》れる道はない、毒薬を盛ったに相違ないと云う事が速《すみや》かに分りましたから、此の者は主《しゅう》殺しに当りますから、磔刑《はりつけ》になるべき処を、吉田監物の家が断絶になるから家事不取締りで、此の園八郎も妾《しょう》のお村も斬罪に処せられ、吉田監物は半地《はんち》に残したはお上の慈悲でございます。又下河原清左衞門が助かると云うのは、全くお筆が孝行の然《しか》らしむる処で、親子諸共に罪を免されて出る。彼《か》の月岡幸十郎は訴え出まして、残らず事柄が分りますと云うのは、彼の伊勢銀に這入りまして家尻を切って二百両の金子《かね》を取ったのも此の者で、幸十郎は後に相当のお仕置に相成りました。下河原清左衞門親子は立帰り、主家は半地にお取立てに成りましたが、奥方の耳へも此の事が這入りまして、清左衞門親子はお召返しに相成りましたから、大恩が有るというので、かの腰の抜けた孫右衞門をも屋敷へ引取り、十分介抱して之を見送り、後孫右衞門は死去《みまか》りましたが、下河原の家はお筆が養子を取って家督を致しまするというお芽出度いお話でございます。
(拠酒井昇造速記)[#行末から3字上で地付き]
底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年5月9日公開
2003年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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