政談月の鏡
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂編纂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)外題《げだい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)余程|六《むず》ケしい

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うけ[#「うけ」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チョン/\
   ふし/″\(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
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        一

 政談月の鏡と申す外題《げだい》を置きまして申し上《あぐ》るお話は、宝暦《ほうれき》年間の町奉行で依田豐前守《よだぶぜんのかみ》様の御勤役中に長く掛りました裁判でありますが、其の頃は町人と武家《ぶげ》と公事《くじ》に成りますと町奉行は余程|六《むず》ケしい事で有りましたが、只今と違いまして旗下《はたもと》は八万騎、二百六十有余|頭《かしら》の大名が有って、往来は侍で目をつく様です。其の時の江戸の名物は、武士、鰹、大名小路、広小路、茶見世、紫、火消、錦絵と申して、今の消防方は四十八組有って、火事の時は道路が狭いから大騒ぎです、焼出《やけだ》されが荷を担《かつ》いで逃げ様とする、向《むこう》からお町奉行が出馬に成る、此方《こっち》の曲角からお使番が馬で来る、彼方《あちら》から弥次馬が来る、馬だらけに成りますが、只今は道路の幅が広くなりずーッと見通せますが、以前は見通しの附かんように通路《とおりみち》が迂曲《うねっ》て居りましたもので、スワと云うと木戸を打ち路次を締める、少しやかましい事が有ると六《む》ツ限《ぎり》で締切ります、此の木戸の脇に番太郎がございまして、町内には自身番が有り、それへ皆町内から町内の家主《いえぬし》(差配人さん)がお勤めに成って、自身番の後《うしろ》の処が屹度《きっと》番太郎に成って居たもので、番太郎は拍子木を打って夜廻りを致す丈《だけ》の事でスワ狼藉者だと云っても間に合う事はない、慄《ふる》えて逃げて仕舞い、拍子木を溝《どぶ》の中へ放り出して番屋へ這込《はいこ》むなどと云う弱い事で、冬になると焼芋や夏は心太《ところてん》を売りますが、其の他《た》草履草鞋を能《よ》く売ったもので、番太郎は皆金持で、番太郎は越前から出る者が多かったようで、それに湯屋の三助は能登国《のとのくに》から出て来ます、米搗《こめつき》は越後と信濃からと極って居ました、江戸ッ子の番太郎は無い中に、長谷川町《はせがわちょう》の木戸の側《わき》に居た番太郎は江戸ッ子でございます、名を喜助《きすけ》と云って誠に酒喰《さけくら》いですが、妙な男で夜番《よばん》をする時には堅い男だから鐘が鳴ると直《すぐ》に拍子木を持って出ます、向うの突当《つきあたり》までちゃんと行って帰って来ます。大概の横着者は、チョン/\チョン/\と四つ打って町内を八分程行くと、音さえ聞えれば宜《い》いんで帰って来ますが此の男は突当りまで見廻って来ないと気が済まないと云う堅い人で、ボンチョン番太と綽名《あだな》が有る位で何《ど》う云う訳かと聞いて見ると、ボーンと云う鐘とチョンと打出す拍子木と同じだからボンチョン番太と云う、余程堅い男だが酒が嗜《す》きで暇《ま》さえあれば酒を飲みます、女房をお梅と云って年齢《とし》は二十三で、亭主とは年齢が違って若うございますが、亭主思いで能く生酔《なまえい》の看護《もり》を致しますので、近所の評判にあの内儀《かみ》さんは好《い》い女だ喜助の女房には不釣合だと云われる位ですが、誠に貞節な者で一体情の深い女でございますから、本当に能く亭主の看護を致して、嗜《すき》な物を買って置き、
 梅「寒いから一杯お飲《た》べかえ、沢山飲むといけないよ、二合にしてお置よ、三合に成ると少し舌が廻らなくなる、身体に障《さわ》るだろうと思って案じられるから」
 喜「うむ寒いな、霜月に這入ってからグッと寒く成った何《ど》うしても寒くなると飲まずにゃ居られねえな」
 梅「寒いたって、寒い訳だよ、朝から飲んでるからもう酔い醒《ざめ》のする時分だからさ、町代《まちだい》の總助《そうすけ》さんが来て余り酒を飲ましちゃアいけない、あれでは身体が堪《たま》るまいと被仰《おっしゃ》って案じておいでだよ、皆様《みなさん》が御贔屓《ごひいき》だから然《そ》う云って下さるんだよ」
 喜「もう是れ限《ぎ》り飲まねえから、よう宜《い》いからもう一本|燗《つ》けなよ」
 梅「燗けなってお酒が無いんだよ」
 喜「無けりゃア買って来ねえな、おい」
 梅「もう今日はこれだけにしてお置きな」
 喜「熱い時分ならそれで宜いが、寒い時分には二合じゃア足りねえ、ようお前《めえ》能く己《おれ》の面倒を見て可愛がって呉んな、其の代り己がお前を可愛がって遣
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