でも向《むこう》を怨むには及ばん、貴様の親父を殺した新吉夫婦と母親《おふくろ》を殺したお熊比丘尼は永らく出家を遂げて改心したが、人を殺した悪事の報いは自滅するから討つがものは無い、己《おのれ》と死ぬものじゃから其の念を断つ処が出家の修行で、飽く迄も怨む執念を断《き》らんければいかん、それに貴様は幾歳《いくつ》じゃ、十二や十三の小坊主が、敵手《あいて》は剣術遣じゃないか、みす/\返り討になるは知れてある、出家を遂げれば其の返り討になる因縁を免《のが》れて、亡なられた両親やまた兄|嫂《あによめ》の菩提を吊うが死なれた人の為じゃ、え」
 宗「ハイ毎度方丈|様《さん》から御意見を伺っておりまするが、此の頃は毎晩/\兄《あに》さんや姉《あね》さんの夢ばかり見ております、昨夜《ゆうべ》も兄さんと姉さんが私の枕元へ来まして、新吉が敵の隠家《かくれが》を教えて知っているに、お前が斯《こ》う遣ってべん/″\と寺にいてはならん、兄さん姉さんも草葉の蔭で成仏する事が出来ないから敵を討って浮ばして呉れろと、あり/\と枕元へ来て申しました、実に夢とは思われません、してみると兄様《あにさん》や姉様《あねさん》も迷っていると思いますから、敵を討って罪作りを致しますようでございますけれども、どうか両人《ふたり》の怨みを晴して遣り度《と》うございます」
 道「それがいかん、それは貴様の念が断《き》れんからじゃ、平常《ふだん》敵を討ち度《た》い、兄さんは怨んではせんか、姉さんも怨んではせんか、と思う念が重なるに依って夢に見るのじゃ、それを仏書に睡眠と説いて有る、睡は現《うつゝ》眠はねむる汝《てまい》は睡《ねむ》ってばかり居るから夢に見るのじゃ、敵討の事ばかり思うているから、迷いの眠りじゃ、それを避ける処が仏の説かれた予《かね》ていう教えじゃ、元は何も有りはせんものじゃ、真言の阿字を考えたら宜《よ》かろう、此の寺に居て其の位な事を知らん筈は無いから諦めえ」
 宗「ハイ、何《ど》うしても諦められません、永らく御厄介に成りまして誠に相済みません、敵討を致した上は出家に成りませんでも屹度《きっと》御恩報じを致しますから、どうかお遣んなすって下さいまし、強《た》って遣って下さいませんければお寺を逃出し黙って羽生村へ帰ります」
 道「いや/\そんならば無理に止めやせん、皆因縁じゃからそれも宜かろう、やるが宜かろうが、確《しっ》かりした助太刀を頼むが宜い、先方《さき》は立派な剣術遣い、殊《こと》に同類も有ろうから」
 宗「はい親父の時に奉公をしたもので、今江戸で花車という強いお相撲さんが有りますから。其の人を頼みます積りで」
 道「若《も》し其の花車が死んでいたら何《ど》うする、人間は老少不定《ろうしょうふじょう》じゃから、昨日《きのう》死にましたといわれたら何うする、人間の命は果敢《はか》ないものじゃが、あゝ仕方がない、往《い》くなら往けじゃが、首尾好く本懐を遂げて念が断《き》れたらまた会いに来てくれ」
 と実子のような心持で親切に申しまする。
 宗「これがお別れとなるかも知れません、誠にお言葉を背きまして相済みません」
 道「いや/\念が断《き》れんと却《かえ》って罪障《つみ》になる、これは小遣に遣るから持って往《ゆ》け」
 と、三年此の方世話をしたものゆえ実子のように思いまして、和尚は遣りともながるのを、強《た》ってというので、音助に言付け万事出立の用意が整いましたから立たせて遣り、漸《ようや》く五日目に羽生村へ着《ちゃく》致しましたが、聞けば家宅《うち》は空屋《あきや》に成ってしまい、作右衞門という老人《としより》が名主役を勤めており、多助は北阪《きたさか》の村はずれの堤下《どてした》に独身活計《ひとりぐらし》をしているというから遣って参り、
 宗「多助さん/\、多助|爺《じい》やア」
 多「あい、なんだ坊様か、今日は些《ち》とべえ志が有るから、銭い呉れるから此方《こっち》へ這入《へえ》んな」
 宗「修行に来たんじゃアない、お前は何時《いつ》も達者で誠に嬉しいね」
 多「誰だ/\」
 宗「はいお前忘れたかえ、私《わし》は惣吉だアね、お前の世話に成った惣右衞門の忰の惣吉だよ」

        九十五

 多「おい成程えかくなったねえ、まア、坊様に成ったアもんだから些《ちっ》とも知んねえだ、能くまア来たあねえ」
 と嬉し涙に泣き沈み漸々《よう/\》涙を拭いながら、
 多「あゝ三年前にお前さまが宅《うち》を出て往《い》く時はせつなかったが、敵討だというから仕方がねえと思って出して上げたが後《あと》で思え出しては泣いてばかりいたが、作右衞門様の世話でもって、何《ど》うやら斯《こ》うやら取附いて此処《こゝ》にいやすが、お前様を訪ねてえっても訪ねられねえだが、お母様《ふくろさん
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