もべん/\としてはいられませぬ、お前さんはどうせ先へ行《ゆ》く人、惣吉さんは兄弟といった処が元をいえば赤の他人でございますからねえ、考えて見ると行末《ゆくすえ》の身が案じられますから」
 母「じゃアどうあっても子供や年寄が難儀イぶっても構わなえで置いて行《ゆ》くというかい、今迄|敵《かたき》イ討《ぶ》つといったじゃアなえか、今それに敵イ討たなえで縁切になって行くとア訝《おか》しかんべい、敵イ討つといった廉《かど》がなえというもんじゃア無《な》えか」
 隅「初《はじま》りは敵《かたき》を討《う》とうと思いましたけれども、誰が敵だか分らぬじゃアありませんか、善々《よく/\》考えて見ますと、富五郎を押えて白状さして、愈々《いよ/\》一角が殺したと決ったら討とうというのだが、屹度《きっと》富五郎、一角ということも分らず、それも関取が附いていればようございますが、関取もいず、して見れば敵が分っても女の細腕では敵に返討《かえりうち》になりますからねえ、又それ程|何方《どなた》にも此方様《こちらさま》に義理はありません、漸《ようや》く嫁《かたづ》いて半年位のことで[#「ことで」は底本では「とで」]、命を捨てゝ敵を討つという程の深い夫婦の間柄でもありませんから、返討にでもなっては馬鹿/\しゅうございますから、敵討《かたきうち》はお止《やめ》にして江戸へ帰ります」
 母「魂消《たまげ》たなアまア、それじゃア何《なん》だア今迄敵イ討《ぶ》つと云ったことア水街道の麹屋でお客に世辞をいう様に、心にもなえ出鱈《でたら》まえをいったのだな、世辞だな」
 隅「いゝえ世辞ではない、関取を頼みにして大丈夫と思っていましたが、関取もいなければ私は厭《いや》だもの、そんな返討になるのは詰りませぬからねえ」
 母「呆れたよまア、何《なん》と魂消たなア、汝《われ》がそんな心と知んなえで惣次郎が大《でか》い金え使って、家《うち》い連れて来て、真実な女と思って魅《ばか》されたのが悔しいだ、そういう畜生《ちきしょう》の様な心なら只《たっ》た今出て行《ゆ》けやい、縁切状を書《きゃ》えてくれるから」
 隅「出て行かなくって、当り前だアね」
 多「お隅さんまア待っておくんなさえ、お内儀《かみ》さん貴方《あんた》人が善《い》いから直《じ》き腹ア立つがお隅さんはそんな人でなえ、私《わし》が知っているから、さてお隅さん、此処《こゝ》なア母様《はゝさま》ア江戸を見たこともなし、大生の八幡《はちまん》へも行ったことアなえという田舎|気質《かたぎ》の母様だから、一々気に障る事《こた》アあるだろうが、実はこういう事があって気色が悪いとか、あゝいう事をいわれてはならぬという事があるなら、私がに話いしておくんなさえ、まア旦那が彼《あ》アなってからは力に思うのはお前|様《さん》の外に誰もないのだ、惣吉|様《さん》だって彼《あ》の通り真実《ほんとう》の姉|様《さん》か母様《かゝさま》アの様に思って縋《すが》っているし、敵の行方は八州へも頼んでえたから、今に関取が出て来れば手分《てわけ》えして富五郎を押えて敲《たゝ》いたら、大概《たいがい》敵は一角に違《ちげ》えねえと思ってるくらいだから、機嫌の悪い事が有るなら私にそういって、どうか機嫌直してくださえ、ねえお隅さん」
 隅「何をいうのだね、お前は何も気を揉むことはないやね、お母《っか》さんも呆れて出て行《ゆ》けというから離縁状を貰っておくんなさい、私は仇打《あだうち》は出来ません、仕方なしに仇を打つと云ったので実は義理があるからさ、よく/\考えて見れば馬鹿げている、それ程深い夫婦でもありませぬからねえ」
 多「それじゃアお隅さん、本当に旦那の敵い打《ぶ》つてえ考《かんげ》えもなえ、惣吉さんもお母様《っかさま》も置いて行《ゆ》くというのかア」
 隅「左様さ」
 多「魂消たね本当《ほんと》かア」
 隅「嘘にこんなことがいえるものか、今日出て行《ゆ》こうというのだよ」
 多「呆れたなア、そんだら己えいうが」
 隅「何をいうの」

        七十

 多「旦那が麹屋へ遊びに行った時酌に出て、器量は好《えゝ》し、人柄に見えるが、何処《どこ》の者《もん》だというと、元は由《よし》ある武士《さむれえ》の娘で、これ/\で奉公しております、外の女ア皆《みんな》枕付《まくらつき》でいる中に私《わし》は堅気で奉公をしようというんだが、どうも辛くってならねえて涙ア澪《こぼ》して云うだから、旦那が憫然《かわいそう》だというので、金えくれたのが初まり、それから旦那が貰《もれ》え切ってくれべいといった時、手を合せて、誠に然《そ》うなれア浮びます助かりますと悦《よろこ》んだじゃアなえか、それに又旦那様ア斬殺《きりころ》されたというのも、早《はえ》え話が一角という奴がお前《めえ》に
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