でござるが、惣次郎の只今女房という訳でない、まア妾同様のお隅と申す婦人、彼《あれ》は御案内の水街道の麹屋に奉公致した酌取女《しゃくとりおんな》、彼《あ》の隅なるものに先生|思召《おぼしめし》があったのでげすな、前に惚れていらしったのでげすな貴方」
 安「これは初めてお出でゞ、他人の女房に惚れているなどといや挨拶の仕様がない、麹屋にいた時分には贔屓にした女だから祝儀も遣って随分|引張《ひっぱ》って見た事もあるのさ」
 富「恐れ入ったね、それが然《そ》う云えぬもので恐入りました、其処《そこ》が大先生で、えーえらい」
 安「何しにお出でなすった、安田一角を嘲哢《ちょうろう》なさりにお出でなすったか、初めてお出でゞ左様なる事を仰しゃる事がありますか」
 富「御立腹ではどうも、中々左様な訳ではない、手前剣道の師とお頼み申し、師弟の契約をしたい心得で罷《まか》り出ましたので、実は彼《あ》のお隅と申すは同家《どうけ》にいるから、段々それまア江戸子《えどっこ》同士で、打明けた話をするとお前さん此処《こゝ》に長くいる気はあるまい、此処は腰掛だろう、故郷忘じ難かろう、私と一緒に江戸へ、というと、私も実は江戸へ行き度《た》い、殊《こと》に江戸には可《か》なりの親類もあり、仮令《たとえ》名主でも百姓の家《うち》へ縁付いたといわれては親類の聞《きこ》えも悪い、然《そ》うなればといって御新造《ごしんぞ》という訳ではなし、へえ/\云って姑《しゅうと》の機嫌も取らなければならんから実は江戸へ行《ゆ》き度いというから、然うなれば何故一角先生の処へいかぬ、向《むこう》は何《なん》でも大先生、弟子|衆《こ》も出這入り、名主などは皆弟子だから、彼処《あすこ》へ行って御新造になれば江戸へ行っても今井田流の大先生、彼処の御新造になれば結構だになぜ行かぬというと、夫《それ》には種々《いろ/\》義理もあって、親父の借金も名主惣次郎が金を出してくれた恩もあるから、先生の処へ行かれもしないというから、それなら先生が斯《こ》うと云ったらお前行く気があるかと云ったら、私は行き度いが、先生には色々綾があるから行《ゆ》かれないというから、然《そ》うなれば私《わし》が行って話し、私も江戸へ帰る土産に剣道を覚えて帰り度い、よい師匠を頼もうと思っていた処だというので、然うなればと頼まれて参ったので、先生|彼《あれ》を御新造になさい、どうでげす」
 安「お帰んなさい、何《なん》だお前は、これ汝《てまえ》は何だ、惣次郎方の厄介になっている者なれば、惣次郎がどうかして安田を馬鹿にして遣《や》れというので来たな、初めて逢って他人の女房を貰えなどと、はい願いますと誰《たれ》がいう、殊《こと》に惣次郎には、去年の秋|聊《いさゝ》かの間違で互《たがい》に遺恨もあり、私《わし》も恨みに思っている、其の敵《かたき》同士の処へ来て女房に世話をしましょうなどと、はい願いますと誰《たれ》がいう、白痴《たわけ》め、帰れ/\」
 富「成程是は至極御尤も、どうもお気分に障るべき事を申したが、まア」
 安「騒々しい、帰れったら帰れ」
 富「まア/\重々御尤も、是には一つの訳がある、ようがすか、手前が打明けた話を致しましょう、手前も武士で二言はない手前は本所北割下水で千百五十石を取った座光寺源三郎の用人山倉富右衞門の忰富五郎、主人は女太夫を奥方にした馬鹿ですから家は改易、仕方なし、手前は常陸に知己《しるべ》があるから参ったが、ふとした縁で惣次郎方の厄介、処が惣次郎人遣いを知らず、名主というを権《けん》にかって酷《ひど》い取扱いをするは如何《いか》にも心外で、手前は浪人でも土民《どみん》なぞにへえつくする事はない、残念に心得ているが、打明話を致すが、江戸に親類どもゝある身の上、江戸へ帰るにも何か土産がないが、実は今まで道楽をして親類でも採上《とりあ》げませんから、貴方の内弟子になってお側で剣道を教えて頂いて、免許目録を貰って帰ると、親類でも今まで放蕩をしても田舎へ行って、是々いう先生の弟子になってと書付《かきつけ》を持って帰れば、それが価値《ねうち》になって何処《どこ》へでも養子に行かれる、処が、御門人にといっても、月々の物を差上げる事も出来ません身の上でございますが、それを承知で貴方の弟子に取って下さるなれば、私《わたくし》は弟子入の目録代りに、御意《ぎょい》に適《かな》ったお隅を、御新造に、長熨斗《ながのし》を付けて持って来ましょう」

        六十三

 安田「是は面白いぞ、惣次郎という主《ぬし》のある者をどうして持って来られます」
 富「惣次郎が有ってはいけませんが、惣次郎を一《ひ》ト刀《かたな》に斬って下さい」
 安「黙れ、馬鹿をいうな、帰れ、帰れ、汝《われ》は惣次郎と同意して手前の気を引きに来たな、うゝん帰
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