按摩「アッ」
と云うその声に驚きまして、門番の勘藏が駈出して来て見ると、宗悦と思いの外《ほか》奥方の肩先深く斬りつけましたから、奥方は七転八倒の苦しみ、
新「ア、彼《あ》の按摩は」
と見るともう按摩の影はありません。
新「宗悦め執《しゅう》ねくもこれへ化けて参ったなと思って、思わず知らず斬りましたが、奥方だったか」
奥「あゝ誰《たれ》を怨《うら》みましょう、私《わたくし》は宗悦に殺されるだろうと思って居りましたが、貴方御酒をお廃《や》めなさいませんと遂には家が潰れます」
と一二度虚空をつかんで苦しみましたが、奥方はそのまゝ息は絶えましたから如何《いかん》とも致し方がございませんが、この事は表向にも出来ません。殊《こと》には年末《くれ》の事でございますから、これから頭《かしら》の宅へ内々参ってだん/″\歎願をいたしまして、極《ごく》内分《ないぶん》の沙汰にして病死のつもりにいたしました。昔は能《よ》く変死が有っても屏風《びょうぶ》を立てゝ置いて、お頭が来て屏風の外《そと》で「遺言を」なんどゝ申しますが、もう当人は夙《とっく》に死んでいるから遺言も何も有りようはずはございません。この伝で病気にして置くことも徃々《おうおう》有りましたから、病死の体《てい》にいたして漸《ようや》くの事で野辺送りをいたしました。流石《さすが》の新左衞門も此の一事には大《おお》きに閉口いたして居りました。すると其の年も明けまして、一陽来復《いちようらいふく》、春を迎えましても、まことに屋敷は陰々《いん/\》といたして居りますが、別にお話もなく、夏も行《ゆ》き秋も過ぎて、冬のとりつきになりました。すると本所《ほんじょ》北割下水《きたわりげすい》に、座光寺源三郎《ざこうじげんざぶろう》と云う旗下が有って、これが女太夫《おんなだゆう》のおこよと云う者を見初《みそ》め、浅草|竜泉寺《りゅうせんじ》前の梶井主膳《かじいしゅぜん》と云う売卜者《うらないしゃ》を頼み、其の家を里方にいたして奥方に入れた事が露見して、御不審がかゝり、家来共も召捕《めしとり》吟味中、深見新左衞門、諏訪部三十郎《すわべさんじゅうろう》と云う旗下の両家は宅番を仰せつけられたから、隔番《かくばん》の勤めでございます。すると十一月の二十日の晩には、深見新左衞門は自分は出ぬ事になりましたから、
新「熊や今晩は一杯飲んでらく
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