お金を何うとかと云って往ったよ」
婢「大層遅いじゃ有りませんか」
美「なアに今に帰るだろう、旦那が帰ったら一口召上るかも知れないからね、少しお肴を支度して置いておくれ」
いくら待っても帰りませんので案じていると、ちーん/\という二時の時計。
庄「大きに御苦労/\、若衆《わけいし》(車代を払う)………帰ったよ」
婢「はい旦那様がお帰りですよ」
美「あれさ起きなくっても宜《い》いわ、寝ておいでよ……只今明けますから…………おや車で、若衆《わかいしゅ》さん大きに御苦労」
車「へい」
美「お茶でも飲んでお出でなさいな、そう大きに御苦労様………あなた余《あん》まり遅いからお泊りに成ったのだろうから、私も今寝ようと思った処、あゝ宜《よ》い塩梅に一時《ひときり》降ってから小降りに成りましたねえ、それにね蝙蝠傘は漏りはしませんか」
庄「なに車に乗ったから傘は要らなかった。」
美「そう、甚《ひど》いのに何処まで往っておいでなすったの」
庄「王子の茶園に往って送り込《こみ》を頼んで来た、二三|日《ち》中《うち》に送り込むだろうが、来なければ又往って遣ろうが」
美「着物が大変泥だらけですね」
庄「えゝ着物か、着換えよう」
美「さアお着換えなさい、何うも是からまアほんとに泥が附いて、ま何うしたんだろう、あら血が附いてますよ」
庄「なゝゝなんだ、あアあのなんだ、こゝ駒込の富士|前《めえ》の方から帰って来たら、青物市場の処《とこ》を通ると、犬が五六匹来やがって足へ絡《から》まって投げられた、其の時|噛合《かみあ》った血だらけの犬が来やがって、己に摺附けたもんだから」
美「あらまア穢《きたな》いじゃアないか、些《ちっ》と乾《ほ》しましょう」
庄「あゝ其方《そっち》の二畳の部屋の方へ出して置いてくれ、穢らしいから……おい一杯《いっぺえ》酒を飲もう」
と是から酒を飲んでぐうッと寝てしまった。翌日《あした》になって車夫《くるまや》が持って来た煙草入に煙管の事を聞いても、知らんと云い、彼《あ》れやそうじゃない、煙管も知らん、と云ってお美代にも隠し置いたから、誰《たれ》あって知る者は有りませんが、それから翌年に相成りますると、一|月《げつ》あたりは未だ寒気も強く、ちょうど雪がどっどと降り出して来ました。幇間《たいこもち》三八の腰障子の閉《た》って有る台所に立ちましたのは、奧州屋の女房おふみ、三歳《みッつ》に成る子を負《おぶ》いまして、七歳《なゝつ》に成るお豐《とよ》という子に手を引かれて居ります。駒込片町《こまごめかたまち》の安泊《やすどまり》に居りまして、切通《きりどお》しの坂を下りてよう/\此処まで来る中《うち》に二度転んだと云う俄盲《にわかめくら》でございます。柳川紬《やながわつむぎ》の袷《あわせ》一枚、これも何うも柳川紬と云うと体裁が宜《よ》いが、洗張《あらいは》りをしたり縫直《ぬいなお》したりした黒繻子《くろじゅす》の半襟が掛けてあるが、化物屋敷の簾《みす》のようにずた/\になって、王子の製紙場《せいしば》へ遣っても宜しいという結びだらけの細帯、焼穴《やけあな》だらけのあめとう[#「あめとう」に傍点][#「あめとう」に欄外に校注、「アメリカ唐桟の略」]の前掛が汚れ切って居ります、豆腐屋の物置から引出したと云うような横倒しに歯の減った下駄を穿《は》いて、ぶる/\慄《ふる》えながら、
豐「お母《っか》ちゃん、ちゃア此処《こゝ》だよ/\」
ふみ「はい………御免なさいまし」
女「はい………おや/\いけない………其処《そこ》を明けちゃアいけない、北向だから、此処の家《うち》は風が這入って寒くていけないから………もう出てしまって有りませんよ」
ふみ「いえ私は物貰いではございません、三八さんのお宅は此方《こちら》でございますか」
女「あゝあ………はい手前《てまい》でございます……お師匠さん貰人《もらいにん》が来ましたよ、一夜《ひとよ》明ければ直《すぐ》に来るんだから驚くね何うも」
三八「どなたで……何方《どなた》で……」
ふみ「はい誠にお久しゅうございます、私は奧州屋の家内で」
三八「へ、へいへいこりゃア何うも御新造《ごしんぞ》………何うもあなたお目が悪くおなんなすって、おゝこりゃアお目が………おい/\婆さん、あのね足を洗わなければならない、跣足《はだし》だ、雪の中を跣足で、なにを湯だよ、洗濯の盥《たらい》でなくても宜《よ》いてば、何を、えい強情張らなくても宜い、知ってるお客様だ、手拭《てぬぐい》の乾《ひ》たのを持ってお出で………さ此方《こっち》へ」
ふみ「はい/\恐れ入ります」
三八「まア/\そんなことは御遠慮なしに、えい這入って宜しゅうございますとも、なアにそんな事を、此方《こっち》へお上んなさい、嬢ちゃん大層おみおおきくお成んなすった、何ういうまア何ですか、お
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