時までもねエ其の人が知れねえんだ、まア持ち腐れじゃア詰らねえから、旦那御紋所がちゃアんと合って……五十円」
庄「馬鹿ア云っちゃアいけねえ」
美代「お止《よ》しなさいな、お止しよ………車夫《くるまや》さん大概におしよ、五十円なんて誰《たれ》が人馬鹿々々しいじゃアないか、金鈍子《きんどんす》か何かの丸帯が買えるわ」
車「帯は買えるんでしょうが、これは煙管の紋が………そりア一寸《ちっと》宜《い》いので」
美「宜いのでたって、そんな高い煙管や何か買える訳のもんじゃアない、だから、あなたお止しなさいよ、(車屋に向い)まア宜いよ」
車「無理に私《わっち》アお上げ申すという訳じゃございませんので、私がこれまで持って居たのは悪いから、それだけ叱られて仕舞いさいすりア……斯ういう訳でがす、私ア酷《ひど》い目に逢いました、建部の側《わき》で私ア溝《どぶ》の中に転がり落ちて何うも物騒で、雨の降る中びしゃアりという訳で、何うも……なアに人てえ者は見掛けに依らねえもんで、まア私は訴えますから」
庄「まア/\宜い、若衆《わけいし》さん、買う買わねえは兎も角も一杯《いっぺえ》此処で飲みねえ、お前《めえ》も何だろう、腹からの車挽《くるまひき》じゃアあるまい家《うち》は何処だい」
車「家は無《ね》えんで、ふてっくされ猪武者《いぬしゝむしゃ》、取っただけは飲んでしまっても仲間の交際《つきあい》と云うものは妙なもんで、何うか斯うか腹ア空《へ》れば飯い食ってまア……無理にという訳じゃアないんでげすが、お互に時節柄斯ういう訳になって車ア挽くんで」
美「酔って居るからお止しなさいよ、御飯《ごぜん》を食べさせて帰しましょう、酔って車ア挽けやしない、お内儀さんを一寸《ちょっと》呼んで、別に車を誂えましょう」
庄「お前往って呼んで来な、手を叩くと旦那じみて極りが悪いから、一寸往ってお出で、(美代吉の跡を見送り)若衆《わけいし》」
車「えい」
庄「煙管を己が買おうが、今は持合せが無《ね》えんだ、己と一緒に………家内が居るから家内の前《めえ》で高い煙管を何で買うかと思われても困る、金を他に借りる処《とこ》が有るから、己が一人でお前《めえ》の車へ乗るから、往ってくれゝば金を借りて渡すから、此の煙管と引替に売って下せい」
車「宜しゅうございます……御新造さんは知らねえのか……いや承知いたしました、万事心得ました」
庄「そんならば」
とて福寿庵の女房を呼び、何やら密々《こそ/\》耳こすりを致し、お美代を蠣殻町まで一人で帰す事に相成り、一人乗の車を別に雇い、お美代を先へ帰して置いて、自分は大西徳藏の車に乗って金策に谷中の蛍沢《ほたるざわ》にまいるというお話でございますが、一息つきまして申し上げます。
六
へい藤川庄三郎、彼《か》の大西徳藏という車夫《くるまや》に供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の笠森稲荷《かさもりいなり》の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か瘡毒《そうどく》の願《ねがい》が利くとか申して女郎|衆《しゅ》や何かゞ宜くお詣りにまいって、泥で拵《こしら》えたる団子を上げます。あの横町を真直《まっすぐ》に往《ゆ》き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺《そうりんじ》という法華寺《ほっけでら》が有ります。その狭い横町をずうッと抜けると田圃《たんぼ》に出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続き微《かす》かに未《ま》だ藪蕎麦《やぶそば》の灯火《あかり》が残っている。田圃道で車の輪が箝《はま》って中々挽けません。
徳「旦那いけませんな、こんな道じゃア何うも方《ほう》が立たねえ、旦那何処へお出でなさるんで」
庄「まア最う少し遣ってくれ」
徳「もう少したって往《い》けませんな、何うもこの道じゃア」
庄「じゃア歩こう、まア此処に下《おろ》しておくれ、何うしたって金策に往くんだから、お願いだから提灯《ちょうちん》を持って、車は此処へ置いてお前一緒に往っておくれでないか」
徳「へい、それは何処へでも往きやすがな、私《わっち》にゃア………唯でさい歩き難《にく》い道だに、お前さん何処まで往くんだか知らねえが、困りますな何うも」
庄「だが好《い》い塩梅に少し小降《こぶり》になった」
徳「えい大きに小降に成ったが、何うも降りやすね何うも………旦那去年の九月四日の晩も此様《こんな》に降りましたな」
庄「うむ左様《そう》かなア、去年も降ったのだか覚えねえ」
徳「へん、降ったか覚えねえ、旨く云やアがる、妻恋坂下のね建部裏まで通りの客を挽いて往った時に、ぴしゃアりと提灯を切られた時に私《わっち》ア胆《きも》を潰して、あの建部裏の溝《どぶ》におっこッちまった、好《よ》い塩梅に少し摺剥《すりむ》いたばかりでたんと負傷《けが》はしないが、泥ぼっけえ、寒くて仕方がねえ
前へ
次へ
全29ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング