らお渡し申す……エお分りに成りましたか」
 聞く事ごとに庄三郎、
庄「はあア左様な事で有ったか」
 と。只茫然といたして、どっどと降る中にべた/\/\と坐った。
庄「左様とは心得ませんで……どうも誠に失敬(失敬たって殺しちまっては間に合いませんねえ)何うかお助かりは……」
奧「えいや助からん」
 と苦しい中で懐から金《かね》を取り出し、
新「……五百円、それに此の金側《きんがわ》の時計も別して記《しるし》のある訳でない、お持料《もちりょう》になされて下さい、他《ほか》の物は記が有りますから………此処にあなた様が居ると、もし夜廻りの者が参っては相成りませんから、お早く往って、何うぞ早く往って下さい……急にお身請になると感付かれると成りません、一二ケ月経ってからでございますぜ、お早く/\」
 早く/\という声も最う息も急《せわ》しゅうなりまする様子。此の頃は巡査という役もございませんけれども折々は邏卒という者が廻りました時分で、雨は降りますけれども妻恋坂下、何う成るか此方《こちら》も怖いのに心急《こゝろせ》くから、其の儘に藤川庄三郎は、五百円と時計と持って御成街道《おなりかいどう》の方《かた》に参りますと、見送った新助は血《のり》に染ったなりひょろ/\出て、向うの中坂下《なかざかした》について、あの細い横町《よこちょう》の方《ほう》に参り、庄三郎に突かれたなり右の手を持ち添えて、左から一文字にぐうッと掛けて切った、此方《こっち》(左)の疵口《きずぐち》から逆に右の方へ一つ掻切《かっき》って置いて、気丈な新助、咽喉《のど》を一つぷつうりと突いて倒れました。左様なことは些《ちっ》とも知りませんのは奧州屋新助の女房、昨夜《ゆうべ》は新助が帰らんと云うので、
女「旦那さまがお帰りが無いから、早くお前店を開けて、万事気を附けておくれ」
 福松《ふくまつ》という店を預かっている若者が指図をして、店の飾り附をして居ると、門口へ来ました男は穢《きた》ないとも穢なく無いとも、ぼろ/\とした汚れ切った毛布《けっとう》を巻き附けて、紋羽《もんぱ》の綿頭巾を被って、千草《ちくさ》の汚れた半股引を穿《は》き、泥足|草鞋穿《わらじばき》の儘|洋物屋《とうぶつや》の上《あが》り端《はな》に来て、
男「御免を蒙《こう》むる」
福「今|其処《そこ》へ来ちゃアいけない…来ちゃアいけない……今店を出す処だに、何だい」
男「何だって人間だい」
福「冗談云うねえ、今店を明けたばかりの処で其処へ突立《つッた》って邪魔して居ちゃアいかん、何だア銭貰い」
男「失敬極まる事をいうな……これ銭貰いとは何だ……さ当家の家内に逢いたいんだから是れへ呼んでくんな……おふみを是れへ呼べ」
福「何うもこれは何だろう……お前は一体|何処《どこ》のものだい」
男「何処も何もあるものか、人力車夫の徳藏《とくぞう》という者だと云やア解るから呼んでくれ」
福「呆れて物が云われない、何だって車夫《くるまや》が此処に来てお内儀《かみ》さんに逢いたいてえのは何ういうわけだ……何ういう縁故をもって云うのだ」
徳「縁故の無い処に云うものか、当家のふみと血を分けたお兄《あにい》さまで大西徳藏[#「徳藏」は底本では「徳造」]という者だと云やア分る」
福「はゝあ是れが兄貴のわんちゃん[#「わんちゃん」に傍点]者だ」
 と番頭も分りましたから、
福「今お内儀さんはお加減が悪くて寝《やす》んで居ります………誠にお生憎様《あいにくさま》で」
徳「なにお生憎様てえ事が有るものか、塩梅が悪きゃア奥へ通って逢おう、盥《たらい》へ水を汲んでくれ、足を洗うから」
福「困りますナ何うも、今何うも店の処じゃア困りますからよ、暫くお待ちなすって」
徳「待たなくてよ、逢いに来たんでい」
 というに仕方が無いから、番頭は奥に往《ゆ》きますると、乳児《ちのみご》に乳を含ませて、片手で其処此処片付けて居りました。
福「申しお内儀さんえ」
ふみ「はい」
福「あなたのお兄《あに》いさんで徳藏様が」
ふみ「あゝ又来たかい」
福「へいぼろ/\したお装《なり》で………あなたの前で申上げては済みませんが、実にひどいお服装《みなり》、御酒《ごしゅ》の上の悪いてえことを聞いて居りますが、私《わたくし》は存じませんから、何だかと思って、銭貰いならアノ店を明けたばかりだから、其処へ立っちゃアいけないと云ったら、あべこべに剣突《けんつく》を食《く》って、兄上が妹《いもと》に逢うのだと申しますが、御様子が悪いから……」
富「あの店に置いちゃア困るから、台所で逢うから此方《こっち》へ呼んでおくれ」
福「へい……貴方さまお内儀さんがお目にかゝりますが、足を洗うのも始末が悪うございますから、裏からお這入りなすって……直《すぐ》に其の蝋燭屋の裏をお這入りなさると井戸の前の処が入
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