て腹を立ってはいけませんよ」
庄「なに僕は悪い処《とこ》へ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも大禄《たいろく》を取った人の娘だから、よもや己を騙《だま》すような事は有るまいと思ったから、一昨日《おとゝい》母にも親族にも打明《ぶちあ》けたのは僕が過《あや》まりました、お前はよく今まで己を騙したね」
美「騙す訳も何も無いんです、今急に身請の話が出たのですもの」
庄「身請に成るなら本当に手紙の一本位よこしてもいゝんだ、もう親族にまで打明《うちあ》け、此方《こっち》で身請をしようという話がつけば何《ど》の位金を出すか知れんが、手前《てまい》だって親族も有るからそれだけに為《し》ねえことはない」
婆「何だえ、その音は、何うしたんだえ、そんなに機嫌を取るから悪いんだ、機嫌を取りゃア宜《い》い気になって、色男振りやアがって、人の家《うち》の娘を打《ぶ》ったり叩いたりしやアがる、全体おかしな奴だ、他人《ひと》の家へつか/\這入《へい》って、お茶ア飲んで菓子を喰倒しやアがって、ほんとに風の悪い奴だ」
新「師匠美代ちゃんが泣いて居るから見て遣んなよ、お母の云いようも悪い」
三「旦那御心配なさいますな、彼《あれ》じゃアちょいとグーッとちん/\が込上《こみあ》げて来ます、ぽかりとステッキで打《ぶ》ったんでげすが、本当に素敵《すてっき》もないことで」
新「ムン何んだ洒落どこじゃアねえ……美代ちゃん泣いたって仕様がない、こゝへお出で、泣かないでも宜《い》い/\、藤川さんだろう、聴いて知って居るから後で兄《にい》さんが挨拶を……今から兄さんと云うのは可笑しいが、会って話をすれば、屹度藤川さんの心持も解けようから」
婆「なに宜《い》い、あんな者に上手《じょうず》を遣《つか》うからいけねえ……あなた本当に此の娘《こ》はお客の前へ出るとはら/\する性質《たち》でいけません、あんな小悪《こにく》らしいぎす/\した奴は有りません」
新「お母さんの云いようも悪かったよ……お前《めえ》泣いたりしちゃアいけない、ムウ大層降出して来たな、雨の音が聞えるが、こいつア困ったな。浜まで明日《あした》往《い》くにしても、帰らなければ都合が悪いから、人力を一挺|云附《いいつ》けておくれな」
婆「はい……併《しか》しまア宜《よ》いじゃア有りませんか」
新「いや少し頼まれた事も有るので、是非浜へ往って買物を為《し》なければならんから」
婆「然《そ》うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車を誂《あつら》えなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、幌《ほろ》の漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」
下女「はい/\」
と下女が有松屋と云うぶら提灯を提《さ》げて人力を雇いに往《い》きますと、向うからがた/\帰り車と見えて引いて参るを見付け、
下「ちょいと車屋さん/\」
車夫「へい」
下女「あの神田の美土代町まで幾許《いくら》だえ」
車夫「へい一朱と二百で」
下女「高いよ、そんな事を云ったッて余《あん》まり高いよ」
車夫「高いたって降って来ましたから」
下女「降って来たって、お負けよ、一朱ぐらいに」
車夫「ヘエ何うでも宜うございます」
とフランケットを身体に巻附け、ずぶ濡になっている車夫が、下女の後からびしょ/\附いてまいる所を、藤川庄三郎は丁字風呂《ちょうじぶろ》の蔭に隠れていたは、愚痴な女に男の未練で、腹立紛れに美代吉を打《ぶ》ん殴って出たが、まだ腹が癒えず、何うも身請をされては男の一|分《ぶん》が立たんと、旧《もと》の士族さんの心が出ましたから、小蔭に隠れて様子を立聞くと、奧州屋新助が美土代町へ帰るようだから。
庄「ムウ彼奴《あいつ》が美土代町へ帰るならば宜しいたゞア置くものか」
と煙管筒《きせるづゝ》に合口《あいくち》を仕込んだのを持って居ます。今新助が車に乗る様子を見ていると、表までどろ/\送り出し、
皆々「左様ならば、左様ならば」
婆「何うぞ明後日《あさって》はお待ち申して居りますが、何時頃《なんどきごろ》おいでになりますか」
新「二時頃には来る積りだよ」
婆「是非おいでを……ちゃんと掃除をして置きまして、皆《みんな》子供たちにも話を致して置きます、左様ならば御機嫌宜しゅう……車夫《くるまや》さん気を附けて成りったけ早くお頼み申しますよ」
車夫「早くたって歩くだけにしか歩けません」
婆「人の悪い車夫だよ、ぶら/\歩かれちゃア仕様がない」
車夫「そんなに急がなくっても車が廻るから自然《ひとりで》に往《い》かれるんで」
婆「それじゃア車を引くのじゃアない、車に引かれて往《ゆ》くのだ」
新「そんな野暮なことを云うな……ムーン破けてるひどい前掛だなア、愛敬の無《ね》え車夫だね……車夫さん幌は漏りゃアしないか」
車夫「大丈夫で」
と是から梶棒の先を
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