松と藤芸妓の替紋
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)今日《こんにち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三冊|或《あるい》は

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+云」、第3水準1−14−87]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)そろ/\
   かわる/″\(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
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        一

 今日《こんにち》より改まりまして雑誌が出版になりますので、社中かわる/″\持前《もちまえ》のお話をお聴《きゝ》に入れますが、私《わたくし》だけは相変らず人情の余りお長く続きません、三冊|或《あるい》は五冊ぐらいでお解りになりまする、まだ新聞に出ませんお話をお聴に入れます。これは明治四年から六年まで、三ケ年の間お話が続きます、実地あったお話でございます。さて俗語に苦は楽の種、楽しみ極《きわ》まって憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。大臣参議と雖《いえど》も皆戦争の巷《ちまた》をくゞり抜け、大砲の弾丸《たま》にも運好《うんよ》く中《あた》らず、今では堂々たる御方《おんかた》にお成り遊ばして入らっしゃるのでございますがまだ開《ひら》けません時分、亜米利加《アメリカ》という処は何《ど》ういう処か、仏蘭西《フランス》はどんな国だか分らない中《うち》に洋行をなさいまして、然《そ》うしてまた何うも船の機械も只今ほど宜《よ》く分っても居りませんでしたのに、危険を凌《しの》ぎ、風波《ふうは》を冒《おか》して大洋を渡りなど遊ばして苦心をなすったから、只今では仮令《たとい》お役所へお出で遊ばさないでも、年金を沢山お取り遊ばすというのも、その苦労をなさいましたお徳でございます、だから余り楽をしようと思うと、却《かえ》って是が苦しみになりますことで、私《わたくし》などは毎日喋って居りますから、ちと楽を為《し》ようと思って、一日喋らずに居たら何うだろうというと、これが苦労の初まりで、一日黙って居るくらい苦しみはありません。何もそんなに黙って居るにも及びませんが、退屈でなりませんから、これは堪らぬ、ちとそろ/\表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、最《も》う寝足《ねあし》になって居りますから歩くと股《もゝ》がすくんでまいり、歩行が叶《かな》いませんから、そこらの車へ乗って家《うち》へ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、仰向《あおむけ》に寝たらば楽になるかと思うと、疝気《せんき》が痛くなったりしていけませんから、廊下へ出て躍《おど》ったら宜《よ》かろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「瓶《かめ》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 《さ》す花見ても知れおしなべてめづるは捨《すつ》る初めなりけり」という歌の心は、詠《なが》めは誠にどうも総々《ふさ/\》とした此の牡丹は何うだい、宜《い》いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長く活《い》けて置けばばら/\と落ちて来ますから、あゝ穢《きた》ない打棄《うっちゃ》ってしまえと、今度は大山蓮華《おおやまれんげ》の白いのを活けこの花の工合《ぐあい》はまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら/\落ちますから捨てゝ、今度は秋草が宜《よ》いと云った所が、此れもそう何時迄《いつまで》も保ちは致しません、直《すぐ》に萎《しお》れてしまいますから※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 換《さしかえ》るというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは松平肥後《まつだいらひご》様の御家来で、若い中《うち》にさん/″\道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館の戦争に出逢って危《あやう》い処を免《のが》れ、よう/\の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人と取引を致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、洋物店《ようぶつてん》を神田美土代町《かんだみとしろちょう》へ開きましたが、大層繁昌致しました。此のお方は苦労人の果ゆえ、仮令《たとい》芸人を扱っても、芸者を相手にしても、向うの気に入るような事ばかり云います。今日《こんにち》は身装《なり》の拵《こしら》えがくすんでも居ず華美《はで》でも無い様子、ちょっと適当の
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