ならば」
とて福寿庵の女房を呼び、何やら密々《こそ/\》耳こすりを致し、お美代を蠣殻町まで一人で帰す事に相成り、一人乗の車を別に雇い、お美代を先へ帰して置いて、自分は大西徳藏の車に乗って金策に谷中の蛍沢《ほたるざわ》にまいるというお話でございますが、一息つきまして申し上げます。
六
へい藤川庄三郎、彼《か》の大西徳藏という車夫《くるまや》に供をさせて、人力でどっとと降る中を谷中の笠森稲荷《かさもりいなり》の手前の横町を曲って、上にも笠森稲荷というが有りますが、下の方が何か瘡毒《そうどく》の願《ねがい》が利くとか申して女郎|衆《しゅ》や何かゞ宜くお詣りにまいって、泥で拵《こしら》えたる団子を上げます。あの横町を真直《まっすぐ》に往《ゆ》き右へ登ると七面坂、左が蛍沢、宗林寺《そうりんじ》という法華寺《ほっけでら》が有ります。その狭い横町をずうッと抜けると田圃《たんぼ》に出て、向うがすうっと駒込の方の山手に続き微《かす》かに未《ま》だ藪蕎麦《やぶそば》の灯火《あかり》が残っている。田圃道で車の輪が箝《はま》って中々挽けません。
徳「旦那いけませんな、こんな道じゃア何うも方《ほう》が立たねえ、旦那何処へお出でなさるんで」
庄「まア最う少し遣ってくれ」
徳「もう少したって往《い》けませんな、何うもこの道じゃア」
庄「じゃア歩こう、まア此処に下《おろ》しておくれ、何うしたって金策に往くんだから、お願いだから提灯《ちょうちん》を持って、車は此処へ置いてお前一緒に往っておくれでないか」
徳「へい、それは何処へでも往きやすがな、私《わっち》にゃア………唯でさい歩き難《にく》い道だに、お前さん何処まで往くんだか知らねえが、困りますな何うも」
庄「だが好《い》い塩梅に少し小降《こぶり》になった」
徳「えい大きに小降に成ったが、何うも降りやすね何うも………旦那去年の九月四日の晩も此様《こんな》に降りましたな」
庄「うむ左様《そう》かなア、去年も降ったのだか覚えねえ」
徳「へん、降ったか覚えねえ、旨く云やアがる、妻恋坂下のね建部裏まで通りの客を挽いて往った時に、ぴしゃアりと提灯を切られた時に私《わっち》ア胆《きも》を潰して、あの建部裏の溝《どぶ》におっこッちまった、好《よ》い塩梅に少し摺剥《すりむ》いたばかりでたんと負傷《けが》はしないが、泥ぼっけえ、寒くて仕方がねえ
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