くてはいけないから、五両でも三両でも……係り合《あい》の事が有って車を置いて来た」
ふみ「何だよ私の家は取込んでいるよ困るね、是でも持って往っておくれ」
と有合わした小遣を遣り、子供を抱いたり負《おぶ》ったり致して、番頭立合で往って見ると、なさけなき死様《しによう》だ、常に落著《おちつ》きまして中々切腹する様な人では無いが、何う云う訳か頓と分らない。拠《よんどころ》なく此の事を訴えますと、検屍|事済《ことずみ》になって死骸を引取りまして、下谷《したや》の広徳寺《こうとくじ》に野辺送りをする事に成りましたが、誰が殺したか頓と知れませんで居りましたが、是が自然に知れて来ると云うは、悪い事は出来んものです。一寸《ちょっと》一息致しまして。
五
えゝお話二つに分れまして、数寄屋町の有松屋のお話でございます。芸者屋の商売などと云うものは、外見《おもて》はずうッと派手に飾って、交際《つきあい》も十分に致し、何処に会が有っても芝居の見物でも、斯ういう店開きが有れば其の様にびらを貼るという様な事でございまして、中々物入の続く商売。殊に暮などは抱子《かゝえッこ》を致して居れば、新しく出《で》の紋附を染めるとか、長襦袢を拵《こしら》えてやるの、小間物から下駄|穿物《はきもの》に至るまで支度を致すというので、大した金の入《い》るものでございます。婆《ばゞあ》は少し借財の有る処で身請というから、先ず是で宜《よ》いと喜んだ甲斐もなく、打って違って奧州屋新助は腹を切って死んだと云うので、ぱったり目的が外れました。是から歳暮《くれ》に成りますると少し不都合で愚痴《ぐず》ばかり云っている処へ、幇間《たいこもち》の三八、
三「お母《っか》さん今日《こんち》は」
婆「おやお這入んなさいまし」
三「押詰りまして」
婆「何うも月迫《げっぱく》に成りました、誠に何うも寒い事ねえ、暮の二十五日だからねえ、時々|忘年《としわすれ》のお座敷なぞが有るかえ」
三「有るにア有るけれども、昔と違って突然《だしぬけ》に目的《あて》が外れたりして極りが無いから困りますのさ」
婆「けれどもお前なぞは気楽で宜《い》いじゃアないか」
三「気楽でも何でも無いのサ、何うも只《たっ》た一人者でも雇婆《やといば》アさんの給金も払うなにが無《ね》えんで、勘定というものは何処にも有るもんでげすが、暮はいけませんねえ、
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