………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も世に出ようという心得であった……先達《さきだっ》て五六|度《たび》呼んだ美代吉が、何となく温順《おとな》しやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、時世《ときよ》とて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて………手前《てまえ》妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました………すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事を他《た》の芸者から聞きましたゆえ、何うぞして配《あ》わして遣りたいと、今日美代吉の宅《たく》へ参ってふと見たる屏風の貼交《はりま》ぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の……歌でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、両親《ふたおや》に聊かも報恩《おんがえし》を致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致して居《い》るか、如何にも不便《ふびん》な事であると存じました故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山の名跡《みょうせき》を立てさせたい、殊《こと》には貴方様と何うか御相談の上で、不束《ふつゝか》な妹では有るが、女房《にょうぼ》に持って貰いたいと存じて、今日《こんにち》身請を致し、明後日《みょうごにち》は貴方様をお招き申して、何うぞ妹の身の上をも善《よ》きに願おうと心得て居ったところが、貴方様がお出でになっても、有松屋の婆《ばゝあ》が居《お》るから何一つ御相談も出来無い、貴方が思い違いを致して御腹立《ごふくりゅう》でお帰りの時も、私《わし》は心配して居ったが、まさか手前に、はアッはア………斯様な荒々しい事をなさろうとは思わなかった………併《しか》しそれ程までに妹を思召《おぼしめ》して下さる御心底《ごしんてい》はアッはア……誠に忝《かたじ》けない、手前《てまい》此処《こゝ》に金円《きんえん》を所持して居《お》る……此の五百円の金を差上げるから、わが亡《な》い後《あと》に妹をお身請なされて、他《ほか》に親戚《みより》兄弟も無い奴と何うかお見捨て無くはアッはア……末々まで女房に持って遣って下さるように願いたい、こゝに金《きん》が有るか
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