から、これは堪らぬ、ちとそろ/\表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、最《も》う寝足《ねあし》になって居りますから歩くと股《もゝ》がすくんでまいり、歩行が叶《かな》いませんから、そこらの車へ乗って家《うち》へ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、仰向《あおむけ》に寝たらば楽になるかと思うと、疝気《せんき》が痛くなったりしていけませんから、廊下へ出て躍《おど》ったら宜《よ》かろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「瓶《かめ》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 《さ》す花見ても知れおしなべてめづるは捨《すつ》る初めなりけり」という歌の心は、詠《なが》めは誠にどうも総々《ふさ/\》とした此の牡丹は何うだい、宜《い》いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長く活《い》けて置けばばら/\と落ちて来ますから、あゝ穢《きた》ない打棄《うっちゃ》ってしまえと、今度は大山蓮華《おおやまれんげ》の白いのを活けこの花の工合《ぐあい》はまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら/\落ちますから捨てゝ、今度は秋草が宜《よ》いと云った所が、此れもそう何時迄《いつまで》も保ちは致しません、直《すぐ》に萎《しお》れてしまいますから※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 換《さしかえ》るというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは松平肥後《まつだいらひご》様の御家来で、若い中《うち》にさん/″\道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館の戦争に出逢って危《あやう》い処を免《のが》れ、よう/\の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人と取引を致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、洋物店《ようぶつてん》を神田美土代町《かんだみとしろちょう》へ開きましたが、大層繁昌致しました。此のお方は苦労人の果ゆえ、仮令《たとい》芸人を扱っても、芸者を相手にしても、向うの気に入るような事ばかり云います。今日《こんにち》は身装《なり》の拵《こしら》えがくすんでも居ず華美《はで》でも無い様子、ちょっと適当の
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