松屋の婆さんは出しませんね、何うかお前さん旦那も来て始めて逢った時にもあゝしてくれたんだからと云っても、決してそんな事をする義理合《ぎりあい》は有りませんと云うような顔附から、慾にばかり目を附ける婆《ばゝあ》で、彼奴《あいつ》は腹でも切りそうな婆です………まお暇《いとま》致しましょう、へい左様なら御機嫌宜しゅう」
美「まことにお草々《そう/\》致しました、車でも」
三「えい私の家《うち》に帰るんですから、なに車も待たして置きましたから、ちょうどあの車に乗って帰ります、へい左様ならお女中、御新様《ごしんさま》それじゃお泊《とま》んなすって………左様なら」
 と三八は帰ってしまう。これから温《あった》かい物でお飯《まんま》を食べさせて、親子の者を丁寧に客座敷の方《かた》に寝かして、自分は六畳の茶の間の方に寝ました。夜《よ》が明けると、お美代が側に床を並べて寝ていた庄三郎の居ないに驚いた。
美「何処へ往ったろう………旦那は何処かへお出でなすった………兼《かね》や(下女の名)旦那はお手水《ちょうず》かえ」
兼「いゝえ存じませんよ、先刻《さっき》から此処で焚き附けて居りますが、知りませんよ」
美「何処へ往ったんだろう」
 と呼んでも音も沙汰も無い。はて変だ。と思って二畳の処を開けに掛ると、栓張《しんばり》が支《か》ってあって唐紙《からかみ》が明きません。
美「旦那」
 と、揺《ゆすぶ》るとたんにがらりと転げた音がする。飛び込んで見ると藤川庄三郎は何時《いつ》の間にか合口を取って、立派に腹一文字に掻切って死んで居りました。恟《びっく》りしたのはお美代。
美「さア皆《みん》な起きてお出でなさい、良人《うちのひと》が腹を切りました」
 というから店の者も出てまいった。店もまだ開けない中《うち》でございますが、目の見えないおふみまでも来て子供も死骸に取り縋《すが》って泣き出しまする。すると傍《かたわら》の硯箱《すゞりばこ》の上に書残した一封が有ります。これを開いて見ると、
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書遺《かきのこ》し候我等|一昨年《いっさくねん》九月四日の夜《よ》奧州屋新助殿をお久《ひさ》の実の兄と知らず身請[#「身請」は底本では「見請」]されては一分立たずと若気の至りにて妻恋坂下に待受《まちうけ》して新助殿を殺害《せつがい》致し候其の時新助殿始めて松山の次男なる事を打明《うちあか》し
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