なもので、何時《いつ》みても見飽のしないもの。此奴《こやつ》が何うしてお若さんを知っておりますかと申しますと、元大工でげすから晋齋のとこへ度々《たび/\》親方と共に仕事にまいり、お若さんが居なされたを垣間見《かきまみ》たんで、その嬋娟《あでやか》な姿に見とれ茫然《ぼんやり》いたして親方に小言をいわれていた。お顔を拝みまするたんびにぶるッぶるッと身ぶるいをして魂を失って仕舞いました。元より惚れぬいてはいるが、流石《さすが》親方のお出入先ではあるし、自分がたゝき大工であるから、とても遂げらるゝ恋でないと諦めても煩悩《ぼんのう》はます/\乱れてまいり、えゝという自暴《やけ》のやん八と二人づれで、吉原へ繰込みましては川岸《かし》遊びにヤッと熱を冷《さま》しておりました。そのうち親方もしくじり、破落戸《ごろつき》となったから、根岸の寮へ参るどころか足ぶみもならない。もう斯うなっては手蔓《てづる》が切れて顔を拝むことも出来ませんので、拠《よんどこ》ろなく諦めて仕舞いました。でげすが何うも未練は残っている。時ともすると根岸のお嬢さんのことを思い出し、歯軋《はぎし》りいたして悔《くや》んでおりました。今夜も懶《なま》けものの癖として品川へ素見《ひやかし》にまいり、元より恵比寿講をいたす気で某《ある》楼《うち》へ登《あが》りましたは宵の口、散々《さんざ》ッ腹《ぱら》遊んでグッスリ遣るとあの火事騒ぎ、宿中《しゅくじゅう》は鼎《かなえ》の沸《わ》くような塩梅しき、なか/\お客様に構っていられない。上を下へと非常に混雑いたしますから、勘太はこれ幸いと戸外《おもて》へ飛びだし、毎晩女郎屋近所に火事があればいゝ、無銭《たゞ》遊びが出来るなんかと途方もない事を申します。そう火事が矢鱈《やたら》無性《むしょう》にあって堪るもんでございますか。さて品川|停車場《ステーション》より新橋へ帰るつもりで参って見ると、パッタリ逢ったはお若さんでげす。最初は只《た》だよく面影《おもざし》の似た女としげ/\見惚《みと》れ、段々と傍へ寄って参って見れば姿こそ変っておりますが、身顫《みぶる》いの出るほどに惚れた根岸のお嬢さんでげすから、勘太も驚きましたね、マサカ斯様《こんな》ところで出会うとは夢にも思わないから、只一人ではあるまい、誰か同伴《つれ》があろうと注意をしても同伴はない、ハテ変なこともあるわ、お嬢さんが一人で此の辺《あたり》にいなさるは読めねえ訳と、ジッと目を止めて視《み》れば其の様子のおかしいので、悪党だけに早くも駈落と覚《さと》りましたから、しめた/\、うまく欺《だま》しこんで連れこみせえすりゃア、否応《いやおう》いわさず靡《なび》かせる工夫はあるぞ、今夜は弁天様から女福《にょふく》を授けられているそうだ、今の騒ぎで無銭《たゞ》遊びをした上、茫然《ぼんやり》帰《けえ》ろうとすると此様《こんな》上首尾、と喜びまして種々《いろ/\》お若さんに取入ろうとするが受付けません。この上は脅して連れて行《ゆ》くに如《し》かずと頷《うなず》き、伯父さんの晋齋を笠に着て引立てようとはいたすものゝ、何《なん》ぼ悪者でも己《おのれ》の惚れている婦人を手荒く扱いかねますので、流石《さすが》に手を取って引張ることもしない、顔は知っているが名も知らない気味の悪い男が附纒《つきまつわ》りますので、お若さんは心配でならない。何うにかして巻いて仕舞おうといろ/\に遣って見まするが、何うも自由《まゝ》にならぬうちに、新橋発の汽車は品川へ着き、ぞろ/\と下車するもの乗車するものでごた/\している。こんなときに撒《ま》かないととても紛れることは出来ぬと、態《わざ》とごた/\致す人中を選《よ》って漸《ようよ》う汽車に乗りこみます。やがてピーと響く汽笛が深夜でげすから物凄いように鳴渡り、ゴット/\という音が仕出して動き出しましたから、まア宜かった、まさか神奈川まで尾《つ》いては来《こ》まいと、胸なでおろしますものゝ、若《も》しやと思って室内を伺います。気味の悪い男の影は見えないから、此処《こゝ》に一安心《ひとあんしん》は致しましたが、そうなると直ぐ心配になって参るは神奈川へ着いてから何うしたら宜かろうか、好《いゝ》塩梅に伊之さんが待ってゝくれゝば可《よ》いが、若しも居なかったら何うしよう、宿屋へ泊るにしても一人、それに女らしく髪でも結っていることか、手拭をとったらいが栗坊主、さぞ訝《おか》しく思うだろう、こんなことゝ知ったら鬘《かづら》でも買ってかぶったものを、まアこれでは仕様がない。と流石《さすが》に一人歩きしたことのないお若が思いに沈んで心細く、ほろり/\と遣って居りましたが、汽車は間もなく神奈川へ着きましたので、恟《びっく》りして下車いたしたが、心当にして来た伊之助の姿は認めることが出来ません。停車
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