ちょい》と往来でゞもそうでございます、若い綺麗な婦人に行会《ゆきあ》いますと振返りたくなるが殿方の癖で、殊に麝香《じゃこう》の匂いがプーンと致しては我慢が出来にくいものだそうで、ナニ己は婦人などに眼はくれぬ、渠《かれ》は魔である化物であるなんかと力んでいらッしゃる方もありますが、その遊ばすことを窃《そっ》と伺って見ますると矢ッ張り人情と申すものは変りません、横丁を曲るときに同伴《つれ》に気の付かないように横目でな、コウいう塩梅しきにじろりとお遣《や》り遊ばしますから、さて不思議に出来あがってるもので、まア近い譬《たと》えが女嫌いと名をとってお在《いで》遊ばす方が、私《わたくし》の参るお屋敷うちにございます、御婦人のお話や少し下《しも》がかったお話になるとフイと其の方のお姿が消えて仕舞うくらいでげすがね、余《あんま》り大きな声では申されませんが、それでね、若い御新造をお貰いあそばし、年子《としご》をつゞけさまにお産し遊ばすから、私もある時御機嫌うかゞいに出て、旦那様は予《かね》て御婦人ぎらいと承わり、女は悪魔だと仰しゃっていらッしゃるそうでげすが、お子様は最《も》うお三方おありなさいますね、と入らざるおせっかいを申しますと、澄したもんで、ナニサ乃公《おれ》は大の女嫌いだよ、併《しか》し嚊《かゝ》アは別ものなんで、何うも恐れ入った御挨拶で、開いた口がふさがらなかったことがございます、ハヽヽヽ、まア斯《こ》うしたもんでげすから、若い美しい御婦人を見て怒《おこ》る方はありますまい。上州屋の帳場でも器量の良《い》いお若さんが伊之助を尋ねて参ったんですから、すこし岡焼の気味でな、番州はじめ見惚《みと》れておりまする。伊之助はお若が尋ねて来ようなんかとは夢にも存じませんけれど、虫が知らしたのかツカ/\と店の方へ参りますと、お若が店さきに立っておりますから驚きましたね、思わず知らず声をかけ、
 伊「オヤお若さんじゃアないかい、何うして出て来なすった、まア此方《こちら》へお這入りなさい」
 若「はい、参ってようございますかね」
 伊「いゝ所《どころ》ですか、誰も心配しなさるものは居やアしません」
 と自身で座敷へ連れてまいりましたが、今夜駈落をしようと約束がしてあるんだから、態々《わざ/\》斯うして来るには何か訳のあることであろう、今朝《あさ》勝五郎に見付けられた一件もあるから、こりゃ晩まで待っていられない事が出来たのだな、と察しましたので、
 伊「何うして来なすったのだ、そして大層そわ/\していなさるようだが、若《も》しや今朝《けさ》のことから」
 と心配らしくお若の顔をのぞきこみまする。左様《そう》なるとお若の方からもジッと伊之助の顔を見詰めまして、ホッと溜息をつき、グッと唾を呑こみまして、
 若「ほんとに大変な事になったの、それだけれど一心でヤッと此処《こゝ》まで逃げて来たんだから、直ぐこれから約束どおり連れて逃げておくれ、若しぐず/\していて見付けられた日にゃア最《も》う今度こそ何うすることも出来なくなるよ」
 伊「エ、大変なことッて」
 と段々きゝますると、朝伊之助に別れたのちの事柄を話す。やアそれはとんでもない、そんなことなら一刻でも斯うしてはいられないと云って、伊之助も慌《あわ》てまどいまして、元より荷物といってはないが、行李の始末なんかは昼間のうちにしてありますから、それではと申して、伊之助は上州屋方を引はらい、お若と二人|立出《たちい》で、車に乗って新橋|停車場《ステーション》へ着きました。調子のわるい時は悪いもので車が停車場に着くと、直ぐ入口の戸はばったり閉められ、急ぎますものですからと外から喚《わめ》きましてもなか/\戸はあけてくれません。そのうち汽笛の声勇ましく八時二十分の汽車は発車しましたから、お若も伊之助も落胆《がっかり》いたし、あゝ馬鹿々々しい、ちょいと開けてくれさえすればあの汽車で神奈川まで一飛《ひとゝび》に往《ゆ》かれるもの、何《なん》ぼ規則があるからッて余《あん》まり酷《ひど》い仕方、場内取締の顔を見るも腹がたって堪らない、そうかと云って打付《ぶっつ》けて愚痴をこぼすことも出来ないので、拠《よんどこ》ろなく次の横浜|行《ゆ》き九時十分まで待たねばなりません、待っているのは仕方がないとしても、若しも其の中《うち》に追手《おって》が掛り、引戻されはしまいかとそれのみが心配で、巡査が此方《こちら》の方へコツリ/\と来るを見ては、両人《ふたり》の様子を怪しく思って尋ねるのではないか、ひょっとお若の頭に気が注《つ》いてそれから駈落の露顕ではないか、とビク/\して彼方《かなた》へ避け此方《こなた》へ除《よ》け、人のなかを潜《くゞ》りあるいても猶気が咎《とが》めるは、此処《こゝ》に集まってまいる人々でございます。知り人でも
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