キ、丁度|私《わたくし》が当家へまいって二日目でございますが、亥太郎さんのお父《とっ》さんが歿《なくな》りました、其の時に亥太郎さんが葬式金《とむらいきん》にお困りなすって、これを抵当《かた》に金を貸してくれと申してまいりました、旦那は彼《あ》アいう気象ですから、金は貸すが品物は預からぬと云って、暫く押問答して居りますと、亥太郎さんが何《なん》と云っても肯《き》きませんので、そんなら私《わし》も少し考える事があるから、兎も角も預かって置くと申しまして、その儘預かりました、ところが彼《あ》アいう訳で良人《やど》が島流しになりましたから、何《ど》ういう仔細があって預かったかは知りませぬが、何時《いつ》までも人の物を預かって置くのも不実と思いまして、今日にもお出《い》でがあったらお返し申そうかと思って居《お》るのでございますよ」
友之助は不審の眉《まゆ》を顰《ひそ》めまして、
友「はてな、亥太郎さんが此品《これ》を持っていると云うのは不思議でございますな、この煙草入《たばこいれ》は皮は高麗《こうらい》の青皮《せいひ》、趙雲《ちょううん》の円金物《まるがなもの》、後藤宗乘《ごとうそうじょう》の作、緒締《おじめ》根附《ねつけ》はちぎれて有りませんが、これは不思議な品で、私《わたくし》が銀座の店に居りました時、手掛けた事のある品物でございますぜ」
と噂をすれば影とやら、表の方《かた》から亥太郎がやってまいりました。
二十一
亥太郎は門口に立ちて、
亥「えゝお頼み申します、亥太郎で、滅相《めっそう》お暑くなりました」
と云う声を聞付けまして、
友「これは/\豊島町の棟梁、さアお上《あが》りなさいまし」
森「さア/\棟梁お上んなせえな」
亥「御免よ」
友「いや棟梁、一寸《ちょっと》お聞き申しますが、此の煙草入は貴方《あなた》がお持ちなすっていたのですか」
亥「持ってたと云う訳じゃアありませんが、実はこりゃア桜の馬場の人殺しが持っていた品です、左様さ、御新造が此方《こちら》へ縁付《かたづ》いてから二日目のこと、丁度三年以前の五月三十日の晩ですが、水道町の仕事の帰りに勘定を取って、相変らず一口やった揚句《あげく》の果《はて》、桜の馬場の葭簀張《よしずばり》、明茶屋《あきぢゃや》でうと/\寝入ると、打《ぶ》ちまけるような大夕立にふと気が付いて其処《そこ》らを見ると、枕元でキャッという叫び声、さては人殺しと寝ぼけ眼《まなこ》で曲者の腰の辺《あたり》へ噛《かじ》り付いたが、その曲者も中々|堪《こた》えた奴で、私《わっち》へ一太刀《ひとたち》浴《あび》せやがった、やられたなと思ったが、幸いに仕事の帰りで、左官道具をどっさり麻布《さいみ》の袋に入れて背負《しょ》っていたので、宜《い》い塩梅《あんばい》に切られなかった、振放す機《はずみ》に引断《ひっちぎ》った煙草入、其の儘土手下へ転がり落ちた、こりゃ堪《たま》らぬと草へ掴《つか》まって上《あが》って見たら、何時《いつ》の間にか曲者は跡を晦《くら》ましてしまう。翌日《あくるひ》聞けば殺された奴は盲目《めくら》の侍だそうで、其の時図らず取った煙草入だが、持っていちゃア悪かろうとぐず/\している中《うち》に親父の大病、医者に掛けるにも銭はなし、脊《せ》に腹は代えられねえから、一時の融通に旦那へお預け申しましたが、其の儘になっているのでさア」
町「亥太郎さん、それは確かに五月三十日のことですね」
亥「えゝ、勘定取った帰りがけで」
町「その殺された侍は盲目でございますか」
亥「いかにも」
友「もし棟梁、その煙草入は私《わっち》が銀座の店で蟠龍軒に売った品、御新造の敵《かたき》は確かに蟠龍軒でございますぞ」
お町は恟《びっく》りして、
町「え、父の敵はあの蟠龍軒ッ」
亥「御新造、あなたのお父《とっ》さんの敵が蟠龍軒と知れて見れば、この敵討《かたきうち》をせざアなりませんよ」
友「そうとも/\、此品《これ》こそ何よりの証拠、私《わし》が確かに証人でござります」
と一同歯がみをなして居ります処へ、家守《いえもり》の吉右衞門《きちえもん》が悦ばしそうに駈けてまいりまして、
吉「皆《みん》な悦んで下せえ、今日お奉行所よりのお達しで、旦那様が御赦免になりました、もう直ぐにお帰りでございます」
亥「えッ、旦那が赦免だ、そりゃア有難《ありがて》え」
國藏と森松は気も顛倒《てんどう》して、物をも云わず躍《おど》り上って飛出し、文治の顔を見るより、あッと腰を抜かしてしまいました。
亥「そんな処で腰を抜かしてくれちゃア困るじゃねえか」
と大騒ぎ。近所では火事と間違えて手桶《ておけ》を持って飛出すもあれば鳶口《とびぐち》を担《かつ》いで躍り出すもあると云う一方《ひとかた》ならぬ騒動
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