ト慣れていますから、旗下は斯《こ》う大名は斯うと、まア婆アぐらいに結分《ゆいわけ》るものは有りませんね」
蟠「お前は一体器用だからな、婆ア少しお前に頼みがある、今日はまア緩《ゆっく》り遊んで往《ゆ》くが宜《よ》い」
婆「有難う存じます」
蟠「こりゃア誠に少しばかりで気の毒だが、これで酒の一口も飲んでくれ」
婆「まア、何《ど》うも済みませんね、毎度有難う存じます」
蟠「礼にゃア及ばねえ、頼みというのは外《ほか》じゃねえがな、此女《これ》を今度或る大名へ奉公に出すのだが、余り下方風《しもがたふう》も安ッぽい、手数であろうが御殿風に髪を直してくれまいか」
婆「そんな事なら何《なん》の造作《ぞうさ》も有りませんが、少し道具が入りますから、一寸宅へ帰って持ってまいりましょう、奉公先はお大名ですか、お旗下ですかえ」
蟠「大名よ」
婆「それなら其の様に道具を持ってまいりましょう」
蟠「宅へ帰るのは宜《よ》いが、己の宅で斯《こ》う/\斯様《こう》なんて事を云っちゃア困るぞ」
婆「へゝゝ、そんな入らざる口をきくような婆アじゃアございません、何か外《ほか》に御趣向が……」
蟠「いや別に」
婆「そんなら一寸往って参じます」
蟠「なるたけ急いでな」
と出て往《ゆ》く婆を見送りまして、
蟠「お瀧ッ」
瀧「はい、今日は何《ど》んな狂言をするんですかね」
蟠「これは何処其処《どこそこ》の御殿女中でござると云って、それ彼《あ》の松平の屋敷へ往ってな、殿様の碁の相手をするのよ、己は御近習衆《ごきんじゅしゅ》と隣座敷へ退《さが》って、一杯飲みながら折を見て寝た振《ふり》をして居《お》る、やがて御近習が居眠りを始めたら、己がエヘンと咳払《せきばら》いをするから、それを合図に宜いか、旨くやってくれ」
瀧「だって、そんな事は私には……」
蟠「何《なん》の出来ぬ事があるものか、遣《や》りそこなったら斯《こ》う斯う」
とひそ/\囁《さゝや》いて居ります処へ、
婆「只今往ってまいりました、さアお髪《ぐし》を解きましょう、まア好《い》い恰好に出来ていますねえ、ほんに毀《こわ》すのは勿体ないよ」
瀧「まだお前、昨日《きのう》結うたばかりだもの」
婆「椎茸髱は、何《ど》うしても始めて結う時は、油を沢山《たんと》塗《つ》けないと旨い恰好に出来ませんからね、お心持《こゝろもち》は悪うございますが、我慢して下さいまし、少しお痛うございましょう……さア出来ました、まア/\好《よ》くお似合い申しますよ、全体お人柄でございますから、本当に好く似合いますねえ」
蟠「やア何時《いつ》の間《ま》にか出来上ってしまったな、ウム、旨い、併《しか》し婆ア近所へも極《ごく》内々《ない/\》にしてくれえ」
婆「大丈夫でございますよ、序《つい》でに召物《めしもの》もお着せ申しましょうか」
蟠「宜《よろ》しく頼む」
婆「まアすッぱり出来上りました、左様ならお暇《いとま》申します」
蟠「くれ/″\も内々にしてくれよ」
婆「はい、宜しゅうございますとも、左様なら」
蟠龍軒はお瀧を連れて松平|某《ぼう》の中の口へまいりまして、
蟠「頼む/\」
中小姓「どーれ……これは/\大伴先生」
蟠「お殿様は御在邸でござるかな」
小姓「はい/\丁度|御前様《ごぜんさま》もお屋敷でござります、暫くお控え下さいまし」
暫くして近習《きんじゅ》が出てまいりまして、
近習「これは/\先生、よくおいでになりました、さア何《ど》うぞ此方《こちら》へ、おうこれは/\予《かね》てお話しの御婦人様でござりますか」
蟠「はい、左様にござります」
近「御前様もお待兼《まちかね》でいらせられます、直《す》ぐお通り下さりませ」
蟠「然《しか》らば御免を蒙《こうむ》ります、さア何《ど》うぞお先へ」
近「どう致しまして、先《ま》ず/\先生、お通り下さいますよう」
蟠「これは恐入ります、仰せに従いまして失礼を致します」
と先立って御殿へ上《あが》る其の様子は、如何《いか》にも事慣れたものであります。
十九
このお瀧という女が、先に申上げました阿部忠五郎という碁打の娘で、碁は初段の位《くらい》でございます。諸家《しょけ》へ奉公致して居りました故、なか/\多芸な娘でございますが、阿部の悪心から終《つい》に島流しになるような不運な身になったのでございます。御殿女中というものは苦労のない割合に、身体を動かしますから、大概は栗虫《くりむし》のように太りかえって、其の上着物に八口《やつくち》がありませんから、帯が尻の先へ止ってヒョコ/\して、随分形の悪いものであります。お瀧は其れとは打って変って成程|眉目《みめ》形は美しゅうございますが、丈《せい》恰好から襟元《えりもと》までお尻の
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