sお》る侍の笠を取ろうと手を掛けますと、一人は其の場を外《はず》して逃げようとする後《うしろ》から、立花屋の忰が怖々《こわ/″\》ながら渋団扇で合図をいたしました。
亥「それッ」
と亥太郎は飛び掛って笠へ手をかける、其の手を取って捩上《ねじあ》げようと致しましたが、仮にも十人力と噂のある左官の亥太郎、只今でも浅草代地の左官某が保存して居《お》るそうですが、亥太郎が常に用いました鏝板《こていた》は、ざっと一尺五六寸、軽子《かるこ》が片荷《かたに》程の土を其の板の上に載せますと、それを左に持ちまして、右の手で仕事をすると申します。斯程《かほど》の大力《だいりき》ある亥太郎、なか/\一人や二人の力で腕を捩上げるなどという事の出来るものではござりません。
亥「この三一《さんぴん》め、生意気なことをするな」
と忽《たちま》ち其の手を捩返しました。ところへ文治が駈《は》せ寄って亥太郎の腕を押え、
文「亥太郎殿、こんな事があろうと思えばこそ、あれ程頼んだではないか、お控えなさい」
亥「へえ/\」
文「御免」
と其の侍の笠に手をかけ、ぽんと※[#「※」は「てへん+毟」、414−9]《むし》り取りました。
文「いや大伴蟠龍軒、久々で逢いましたな」
はたと睨《にら》み付けますると、後《うしろ》に笠の輪ばかり被って居りました四人の侍、「汝《おのれ》、無礼者」と刀に手をかける其の横合より、八丁堀の同心|体《てい》の人、
「これ/\お控えなさい、舅の敵討でござるぞ、それとも尊公《そんこう》達はお助太刀なさる思召《おぼしめし》か」
侍「いや、助太刀ではござらぬ」
同心「左様ならお控えなさい」
亥「やい三一、ぐず/\しやがると豊島町の亥太郎が打殺《ぶちころ》すぞ」
同「其の方の出るところではない、お控えなさい」
亥「何《なん》だと」
文「おい亥太郎殿、お役人様だぞ、控えろ、さア大伴、もう斯《こ》うなったら致し方はござらぬ、侍らしく名告《なの》って尋常に勝負なさい」
侍「何事かは知らぬが、人違いではござらぬか、よし又拙者が大伴にもせよ、敵といわれる訳はござらぬ」
文「卑怯なことを云うな、過ぐる年|三十日《みそか》の夜《よ》、お茶の水にて小野庄左衞門を切殺し、定宗の小刀《しょうとう》を奪い取りし覚えがあろう、論より証拠、その差添《さしぞえ》は正《まさ》しく庄左衞門の差添、然《しか》らずと云うならば出して見せえ、小野の娘お町は今は斯《か》く申す文治の妻なり、お町/\、これへ参れ」
と云われて大伴蟠龍軒は顔色《がんしょく》土の如く、ぶる/\震えて居りまする。
四十五
お町は敵討の支度かい/″\しく現われ出で、
町「おのれ蟠龍軒、眼さえも見えぬ父上様を、よくも欺《だま》して引出し、無慚《むざん》にも切殺したなア、さア汝《おのれ》も武士の端くれ、名告《なの》って尋常に勝負せい、さア/\悪党、いかに/\」
時に友之助、
友「やい蟠龍め、この煙草入は覚えが有ろう、この友之助が其方《そち》へ売った煙草入、お茶の水の人殺しの時、亥太郎さんに取られたであろう、さア何《ど》うじゃ、えゝ、この意気地無《いくじな》しめが」
いかに卑怯な蟠龍軒でも、もう斯《こ》うなっては逃げる訳に参りませぬ。
蟠「ウーム、かく申す大伴の道場へ夜中《やちゅう》切込んで、泥坊同様なことをしたのは其の方どもだな、よし、片ッ端から切伏せくれん、さア支度いたせ」
と言いながら四辺《あたり》を見ますると人一ぱい。國藏、森松、亥太郎始め、皆々手に/\獲物を携《たずさ》え、中にも亥太郎は躍起《やっき》となって、
亥「さア人面獣心《にんめんじゅうしん》、逃げるなら逃げて見ろ、五体を微塵《みじん》に打砕《うちくだ》くぞ」
文「大伴氏、最早逃げようとて逃すものでない、積る罪業《ざいごう》の報いと諦めて尋常に勝負せい、お町、其方《そち》少し下《さが》って居れよ」
相手は大勢《おおぜい》、蟠龍軒は隙《すき》あらば逃げたいのは山々でござりますが、四辺《あたり》は一面土手を築《つ》いたる如く立錐《りっすい》の余地もなく、石川土佐守殿は忍び姿で御出馬に相成り、与力は其の近辺を警戒して居ります。尚お右京殿の使者も忍び姿にて人込みの中に紛《まぎ》れ込み、藤原其の他二三の侍も固唾《かたず》を呑んで見張って居りまする。文治は静かに太刀を抜放ち、
文「さア大伴氏、其許《そこもと》は舅の敵の其の上に、よくも此の文治が面部に疵《きず》を負わし、痰唾《たんつば》まで吐き掛けたな、今日こそ晴れて一騎討の勝負、疾《と》く/\打って来い」
蟠龍軒はぶる/\総身《そうみ》に震いを生じ、すらりと大刀抜くより早くお町の方を目がけて一太刀打込みました。
文「何をするッ」
と文治は横合より
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