ェ》に面《おもて》に一種の愁《うれい》を帯び、総立《そうだち》に立上りまして、陸《おか》を見上げる体《てい》を見るより、河岸に居《お》る親戚故旧の人々はワッ/\と声を放って泣叫ぶ。その有様は宛《さなが》ら鼎《かなえ》の沸くが如く、中にもお町は悲哀胸に迫って欄干に掴《つか》まったまゝ忍び泣をして居りまする。さて三宅島は伊豆七島の中《うち》でありまして、最も罪人の沢山まいる処であります。先《ま》ず島へ船が着きますると、附添の役人は神着村《こうづきむら》大尽《だいじん》佐治右衞門《さじうえもん》へ泊るのが例でございます。此の島は伊豆七島の内で横縦《よこたて》三里、中央に大山《おおやま》という噴火山がありまして、島内は坪田《つぼた》村、阿古《あこ》村、神着村、伊豆村、伊ヶ島村の五つに分れ、七寺院ありて、戸数千三百余、陣屋は伊ヶ島に在《あ》りまして、伊豆国《いずのくに》韮山《にらやま》郡代官《ぐんだいかん》太郎左衞門《たろうざえもん》の支配、同組下五ヶ村名主|兼勤《けんきん》の森大藏《もりだいぞう》の下役頭《したやくがしら》平林勘藏《ひらばやしかんぞう》という者が罪人一同を預かり、翌日罪状と引合せて、それ/″\牢内に入れ置く例でございます、文治を乗せたる船が海上|恙《つゝが》なく三宅島へ着きますると、こゝに一条の騒動|出来《しゅったい》の次第は次回に申上げます。

  十四

 護送役人の下知《げじ》に従いまして、遠島の罪人一同上陸致しますると、図らずも彼方《あなた》に当りパッパッと砂煙《すなけむり》を蹴立《けた》って数多《あまた》の人が逃げて参ります。村方《むらかた》の家々にては慌《あわ》てゝ戸を閉じ子供は泣く、老人は杖《つえ》を棄てゝ逃《にげ》るという始末で、いやもう一方《ひとかた》ならぬ騒ぎでございます。何事か知らんと一同足を止めて見ますると、向うから罪人が四五十人、獲物《えもの》々々を携《たずさ》え、見るも恐ろしい姿で、四辺《あたり》に逃げ惑《まど》う老若男女《ろうにゃくなんにょ》を打敲《うちたゝ》くやら蹴飛《けと》ばすやら、容易ならぬ様子であります。中には刃物を持って居《お》る者もあります。此方《こなた》は数十人の役人、突棒《つくぼう》刺叉《さすまた》鉄棒《てつぼう》などを携えて、取押えようと必死になって働いて居りますが、何しろ死者狂《しにものぐるい》の罪人ども、荒
前へ 次へ
全111ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング