になりまして、
右京「これ、喜代之助を呼べ」
近習「はゝア、喜代之助殿、御前のお召《めし》でござる」
喜「はゝア」
右「喜代之助、近《ちこ》う進め」
喜「はゝア」
右京殿は四辺《あたり》を見廻し、近習《きんじゅ》に向い、
右「暫く遠慮いたせ」
お人払いの上、喜代之助にお向いなされ、
右「喜代之助、そちを呼んだのは別儀ではないが、今日予が下城の節、駕籠訴いたした者がある、それは本所業平橋の料理屋立花屋源太郎と申す者であるが、そちは浪人中業平橋辺に居ったそうじゃのうあの辺の事はよう存じて居ろう、いつぞや閑《ひま》の折に文治という当世に珍らしい侠客があると云ったのう、その文治と申す者は一体|何《ど》ういう人間か」
喜「申上げます、彼は母の命の親とも申すべきもので、近年|稀《まれ》な侠客でござります」
右「フーム、侠客か、一体文治の平生《へいぜい》の行状は何《ど》んなものじゃ」
喜「御意にございます、先ず本所にて面前にては申すに及ばず、蔭にても文治と呼棄《よびずて》にする者は一人《いちにん》もござりませぬ、皆文治様々々々と敬《うやも》うて居ります、これにて文治の人となりを御推察を願います」
右「して、そちの母の命の恩人と申すは」
喜「左様でござります、手前が浪人中、別に一文の貯《たくわ》えあるでは無し、朝から晩まで内職をして其の日/\の煙を立てゝ居りました、それが為に手前は始終不在勝でございまして、家内の事は一切女房に任せて置きましたのが手前の生涯の過失《あやまち》でございます、女房のお淺と申します者が、手前の居ります時はちやほや母に世辞をつかいます故、左程|邪慳《じゃけん》な女とも思いませなんだが、不在を幸いに只《たっ》た一人《いちにん》の老母に少しも食事を与えませず、ついには母を乾殺《ほしころ》そうという悪心を起して、三日半程湯茶さえ与えず、母を苦しめました」
右「フーム、世には恐ろしい奴もあるものじゃの、そちは何か、内職から帰ってそれを知らなかったのか」
喜「何《なん》とも恐入った次第でございますが、母は当年七十四歳、手前などと違い余程覚悟の宜《よ》い母でございまして、食を絶って死のうという覚悟と見えまして、只病気とのみ申し打臥《うちふ》したまゝ一言《いちごん》も女房の邪慳なことを口外致しませぬ故、一向心付かんで居りました」
右「そち
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