ニ申し聞けまして、お町に向い、
文「さアお町、十分に止《とゞ》めを刺せ」
町「はい、大伴、親の敵思い知れッ」
とずぶりと突き通されて息は絶えました。見物一同、山の崩れる如くわッ/\という人声《ひとごえ》、文治は取急ぎ血刀《ちがたな》を拭い、お町に支度を改めさせて与力に向い、
文「いずれお役人様が御出役《ごしゅつやく》になりましょうが、市中を騒がし御法を犯せし我ら夫婦、お縄を頂戴いたします」
と大小を投出しました。
与力「いや御浪士、縄には及ばぬ、併《しか》し大小はお預かり申す、ゆる/\お支度なさい」
文「有難う存じます、お町支度は宜《よ》いか」
同心「大分お疲れの様子、こゝに薬が有りますが、同役、水を」
文「何から何までお手数《てすう》をかけまして恐入ります、私《わたくし》は気付には及びませぬ」
法は法、抂《ま》げる訳になりませぬから、文治お町の両人を駕籠に乗せて奉行所へ引立《ひった》てました。花時の向島、敵討があると云うので土手の上は浪を打ちますよう、どや/\押掛けてまいりまして、蟠龍軒の死骸を見ては唾《つば》を吐くやら蹴飛《けと》ばすやら弥次馬連が大騒ぎをして居ります。此方《こなた》は奉行所、一応吟味の上、
奉行「悪漢無頼の曲者《くせもの》、殊に舅の仇《あだ》を討つは武士の嗜《たしな》み、天晴《あっぱれ》な手柄」
というお誉《ほ》め言葉がありまして、早速帰宅を許されました。此の事がパッと世間に広まりまして、さア諸家から召抱《めしかゝ》えにまいること何人という数知れず、なれど文治は、
文「手前は主取《しゅうと》りの望みはござらぬ、折を見て出家いたす心底《しんてい》でござる」
と一々断りましたが、旧主堀丹波守殿よりの仰せは拒むに拒まれず、余儀なく隠居同様として親の元高《もとだか》三百八十石にてお抱えになりました。近頃まで御藩中に浪島という名跡《みょうせき》が残って居りました。又女房のお町は長命でありまして、文政年間の人でお町と知合《しりあい》の者も大分あったそうでござります。後の業平文治の敵討、これにて終局といたします。
(拠時事新報社員速記)
底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
1927(昭和2)年6月28日発行
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