oっても先生が帰って来る様子がございませんから、二人の門人は気遣いながら、名主同道にて引返してまいりますると、こは如何《いか》に、先生が樹《き》の根方《ねがた》に倒れて居ります。恟《びっく》り驚いて、
 門「やア先生が倒れて居《お》る、先生々々、何《ど》うなすった、やッこりゃ大変、先生が気絶して居る、これ名主、水を、早く/\」
 二人の介抱で蟠龍軒は漸《ようや》く心付きました。
 門「先生、お気が付きましたか」
 蟠「いや何《ど》うも飛んだ目に逢《お》うた」
 門「何うなさいました彼《あ》の女は」
 蟠「とうとう逃げられてしまった」
 門「馬鹿々々しいなア、併《しか》し先生、あの婦人は全く船中でお話のあった庄左衞門の娘お町と申す者でございましょう」
 蟠「まったくお町に相違ない、相違ないが、何《ど》うして斯様《こん》な山奥へ来て居《お》るか、それが分らぬ、併し筆蹟と云い顔形《かおかたち》といい、確かにお町に相違ない」
 門「そりゃア惜《おし》いことをしましたなア、やア先生、大層お手から血が出ているじゃア有りませんか」
 蟠「実はこれがために気絶したのじゃ」
 門「あのお町が喰付いたのですか」
 蟠「いや/\何か其処《そこ》らに居りはせぬ[#「ぬ」は底本では「ね」と誤記]か」
 と云われて門人二人は、「何が/\」と云いつゝ五六|間《けん》先へまいりますと、山のような真ッ黒な物がむず/\/\。
 門「やゝッ/\……やゝッ……熊だ」
 と叫びながら一同其の場を逃去りました。

  三十八

 お町は熊に助けられて山深く逃げ延びましたが、身を寄せる処は勿論、食物《くいもの》もございませんから、進退いよ/\谷《きわ》まりました。その辺《あたり》を打見ますと、樵夫《きこり》の小屋か但しは僧侶が坐禅でもいたしたのか、家の形をなして、漸《ようや》く雨露《うろ》を凌《しの》ぐぐらいの小屋があります。
 町「たとえ此の山奥で餓死《うえじに》するとも野天《のでん》で自殺は後日の物笑い、何者の住《すま》いかは知らぬが、少々お椽《えん》を拝借いたします、南無阿弥陀仏/\」
 と静かに坐を占めまして、何方《どっち》が江戸か分りませぬが、
 町「亡《な》き御両親様、此の身が此の世に出でし幼き時より、朝夕の艱難苦労《かんなんくろう》あそばしてお育て下さりました甲斐もなく、無事で亡き魂《たま》をお弔
前へ 次へ
全111ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング