ったと云うことだから、こいつア必定《てっきり》お百度だろうと後《あと》から往こうか知らんと思ったが、家《うち》が無人《ぶにん》で困っているのに何《なん》ぼ信心だからと云って、出先から成田へ往ったら又旦那に叱られるだろうと、こう思って止したのが結句幸いであった、今も國藏|兄《あにい》が成田様の一件で小言まじりに一本やられたところだ」
亥「己《おら》アな、昨夜《ゆうべ》の内にお百度を済まして、何《ど》うやら気が急《せ》かれるから、今朝|早立《はやだち》にして、十八里の道を急ぎ急いでもう些《ちっ》と早くと思ったが、生憎《あいにく》の大雨で道も捗取《はかど》らず、到頭《とうとう》夜半《よなか》になっちまった、あゝ何うも胸がドキ/\して気が落着かねえ、水を一杯《いっぺえ》くれねえか」
森「おゝ気の付かねえ事をした」
文「やア亥太郎殿か、成田へお出で下すったそうで、母のために毎《いつ》も変らぬ御親切、千万辱けのう存じます、母も只《たっ》た今往生いたしました、さア何《ど》うか直《す》ぐに奥へ往って見てやって下さい」
亥「えゝ皆様御免なせえ、えゝお母様《ふくろさま》、なぜ私《わっち》が……旦那御免なせえよ、こんな時にゃア何《なん》と挨拶《あいさつ》して宜《い》いのか私にゃア分んねえ」
藤「これは亥太郎殿、藤原喜代之助でござる、あなたの御親切で伯母も誠に宜《よ》い往生を致しました、人の寿命ばかりは何《なん》とも致し方がありません」
亥「旦那御免なせえ、私《わっち》やア物心をおぼえて此の方《かた》、涙というものア流したことが無《ね》えんですが、いつぞや親子てえものは斯《こ》う/\いうもんだと、此方《こちら》の旦那に意見されてから、此の間親父の死んだ時にゃア思わず泣きました、今日で二度目でござんす、御免ねえ」
とわッ/\と泣出しました。時に文治は、
文「いつも変らぬ御親切、有難う存じます、さぞお腹《なか》が減りましたろう」
亥「なアに、さしたる事もありません」
文「お昼食《ちゅうじき》は何方《どちら》でやって来なすったね」
亥「なアに昼食なんざア、実は十八里おっ通しで」
文「やッ、それは/\昼食も喰《た》べずに十八里|日着《ひづき》とは、何《ど》うも恐入りましたなア」
亥「云われて始めて腹が減った、そんなら森松、握飯《むすび》でも呉れや」
森「さア大変だ、昼間
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