僧「此奴《こいつ》被《かぶ》り物《もの》を脱《と》れ」
 と被っている手拭を取ると、早四郎ではありませんで、此処《こゝ》の主人《あるじ》、胡麻塩交《ごましおまじ》りのぶっつり切ったような髷《まげ》の髪先《はけさき》の散《ちら》ばった天窓《あたま》で、お竹の無事な姿を見て、えゝと驚いてしかみ面《つら》をして居ります。
僧「お前は此の宿屋の亭主か」
五「はい」
竹「何うしてお前は刄物を持って私の部屋へ来て此様《こん》な事をおしだか」
五「はい/\」
 とお竹に向って、
五「あ…貴方はお達者でいらっしゃいますか、そうして此の床の中には誰がいますの」
 と布団を引剥《ひっぱ》いで見ますと、今年二十五になります現在|己《おのれ》の実子早四郎が俯伏《うつぷし》になり、血《のり》に染って息が絶えているのを見ますと、五平は驚いたの何《なん》のではございません、真蒼《まっさお》になって、
五「あゝ是は忰でございます、私《わし》の忰が何うして此の床の中に居りましたろう」
僧「何うして居たもないものだ、お前が殺して置きながら、お前はまア此者《これ》が何《ど》の様《よう》な悪い事をしたか知らんが、本当の子か、仮令《たとえ》義理の子でも無闇に殺して済む理由《わけ》ではない、何ういう理由じゃ」
五「はい/\、お嬢さま、あなたは今晩こゝにお休みはございませんのですか」
竹「私はこゝに寝ていたのだが、不図《ふと》起きて洪願寺様へ墓参りに行って、今帰って来ましたので」
五「何うして忰が此処《こゝ》へ参って居りましたろう」
僧「いや、お前の忰は此の娘《ねえ》さんの所《とこ》へ毎晩来て怪《け》しからんことを云掛け、云う事を肯《きか》んければ、鉄砲で打つの、刄物で斬るのと云うので、娘さんも誠に困って私《わし》へお頼みじゃ、娘さんが墓参りに行った後《あと》へお前の子息《むすこ》が来て、床の中に入って居《い》るとも知らずお前が殺したのじゃ」
五「へえ、あゝー、お嬢さま真平《まっぴら》御免なすって下さいまし、実は悪い事は出来ないもんでございます、忽《たちま》ちの中《うち》に悪事が我子《わがこ》に報いました、斯う覿面《てきめん》に罰《ばち》の当るというのは実に恐ろしい事でございます、私《わたくし》は他に子供はございません、此様《こん》の[#「此様《こん》の」は「此様《こん》な」の誤記か]田舎育ちの野郎でも、唯《たっ》た一粒者《ひとつぶもの》でございます、人間は馬鹿でございますが、私の死水《しにみず》を取る奴ゆえ、母が亡《なくな》りましてから私の丹誠で是までにした唯た一人の忰を殺すというのは、皆《みんな》私の心の迷い、強慾非道の罰でございます」
僧「土台呆れた話じゃが、何ういう訳でお前は我子を殺した」
五「はい、申上げにくい事でございますが、此の甲州屋も二十年前までは可なりな宿屋でございました処が、私《わたくし》は年を老《と》りましても、酒や博奕《ばくち》が好きでございまして、身代を遂に痛め、此者《これ》の母も苦労して亡りました、斯うやって表を張《はっ》ては居りますが、実は苦しい身代でございます、ところが此のお嬢様が先達《せんだっ》て宿賃をお払いなさる時に、懐から出した胴巻には、金が七八十両あろうと見た時は、面皰《にきび》の出る程欲しくなりました、あゝ此の金があったら又|一山《ひとやま》興《おこ》して取附く事もあろうかと存じまして、無理に七日までお泊め申しましたが、愈々《いよ/\》明日《みょうにち》お立ちと聞きましたゆえ、思い切って今晩|密《そっ》と此のお嬢様を殺して金を奪《と》ろうと企《たく》みました、死骸は田圃伝えに背負出《しょいだ》して、墓場へ人知れず埋めてしまえば、誰にも知れる気遣《きづか》いないと存じまして、忍んで参りました、道ならぬ事をいたした悪事は、忽《たちま》ち報い、一人の忰を殺しますとは此の上もない業曝《ごうさら》しで、実に悪い事は出来ないと知りました、私《わたくし》も最《も》う五十九でございます、お嬢さま何とも申し訳がございませんから、私は死んでしまい、貴方に申訳をいたします」
 と云切るが早いか、出刄庖丁を取って我が咽《のど》に突立てんとするから、
僧「あゝ暫く待ちなさい、まア待ちなさい、お前がこれ死んだからって言訳が立つじゃアなし、命を棄てたって何の足しにもなりゃアせん、嬢さんの御迷惑にこそなれ、宜《よ》いか先非《せんぴ》を悔い、あゝ悪い事をした、唯《たっ》た一人の子を殺したお前の心の苦しみというものは一通りならん事じゃ、是も皆《みな》罰《ばち》だ、一念の迷いから我子を殺し、其の心の苦しみを受け、一旦の懺悔《ざんげ》によって其の罪は消えている、見なさいお嬢様の一命は助かり、お前の子はお嬢様の身代りになったんじゃ、誠に気の毒なは此の息子さん、嬢さん何事も
前へ 次へ
全118ページ中78ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング