《か》にお死去《かくれ》になったな、うむ、お気の毒な事で南無阿弥陀仏々々々々々々、宜しい、えゝ、お線香は私《わし》が別に好《よ》いのを持って居りますから、これを薫《た》きましょう」
 と頭陀《ずた》の中から結構な香を取出し、火入《ひいれ》の中へ入れまして、是から香を薫き始め、禅宗の和尚様の事だから、懇《ねんごろ》に御回向がありまして、
僧「えゝ、お戒名は如何《いか》さま好《よ》いお戒名で、うゝ光岸浄達信士《こうがんじょうたつしんし》」
竹「えゝ、是は只心ばかりで、お懇《ねんごろ》の御回向を戴きまして、ほんのお布施で」
僧「いや多分に貴方、旅の事だから布施物《ふせもつ》を出さんでも宜しい、それやア一文ずつ貰って歩く旅僧《たびそう》ですから、一文でも二文でも御回向をいたすのは当然《あたりまえ》で、併《しか》し布施のない経は功徳にならんと云うから、これは戴きます、左様ならば私《わし》は旅疲れゆえ直《す》ぐに寝ます、ま御免なさい」
 と立ちかけるを留《と》めて、
竹「あなた少々お願いがございます」
僧「はい、なんじゃな」
 と又|坐《すわ》る。お竹はもじ/\して居りましたが、応《やが》て、
竹「おつな事を申上げるようでございますが、当家の忰が私《わたくし》を女と侮《あなど》りまして、毎晩私の寝床へまいって、怪《け》しからん事を申しかけまして、若《も》し云うことを肯《き》かなければ殺してしまうの、鉄砲で打つのと申します、馬鹿な奴と存じますから、私も好《よ》い加減に致して、七日でも済んだら心に従うと云い延べて置きましたが、今晩が丁度七日の逮夜で、明朝《みょうあさ》早く此の宿《やど》を立とうと存じますから、屹度《きっと》今晩まいって兎や角申し、又理不尽な事を致すまいものでもあるまいと存じますで、誠に困りますが、幸い隣へお相宿になりましたから、事に寄ると私が貴方の方へ逃込んでまいりますかも知れません、其の時には何卒《どうぞ》お助け遊ばして下さるように」
僧「いや、それは怪《け》しからん、それは飛んだ事じゃ私《わし》にお知らせなさい、押えて宿の主人《あるじ》を呼んで談じます、然《そ》ういう事はない、自分の家《うち》の客人に対して、女旅と侮《あなど》り、恋慕《れんぼ》を仕掛けるとは以《もっ》ての外《ほか》の事じゃ、実に馬鹿程怖い者はない、宜しい/\、来たらお知らせなさい」
竹「何卒《どうか》願います」
 と少し憤《いきどお》った気味で受合いましたから、大きにお竹も力に思って、床を展《と》って臥《ふせ》りました、和尚さまは枕に就《つ》くと其の儘旅疲れと見え、ぐう/\と高鼾《たかいびき》で正体なく寝てしまいました。お竹は鼾の音が耳に附いて、どうも眠《ね》られません、夜半《よなか》に密《そっ》と起きて便所《ようば》へまいり、三尺の開《ひら》きを開けて手を洗いながら庭を見ると、生垣《いけがき》になっている外は片方《かた/\》は畠で片方は一杯の草原《くさはら》で、村の人が通るほんの百姓道でございます。秋のことだから尾花《おばな》萩《はぎ》女郎花《おみなえし》のような草花が咲き、露が一杯に下りて居ります。秋の景色は誠に淋しいもので、裏手は碓氷の根方《ねがた》でございますから小山《こやま》続きになって居ります。所々《ところ/\》ちら/\と農家の灯火《あかり》が見えます、追々戸を締めて眠《ね》た処もある様子。お竹が心の中《うち》で。向うに幽《かす》かに見えるあの森は洪願寺様であるが、彼処《あすこ》へ葬り放しで此処《こゝ》を立つのは不本意とは存じながら、長く泊っていれば、宿屋の忰が来て無理無体に恋慕を云い掛けられるのも忌《いや》な事であると、庭の処から洪願寺の森を見ますと、生垣の外にぬうと立っている人があります。男か女か分りませんが、頻《しき》りと手を出してお出《いで》/\をしてお竹を招く様子、腰を屈《かゞ》めて辞儀をいたし、また立上って手招ぎをいたします。
竹「はてな、私を手招ぎをして呼ぶ人はない訳だが……男の様子だな、事によったら敵《かたき》の手係りが知れて、人に知れんように弟《おとゝ》が忍んで私に会いに来たことか、それとも屋敷から内々《ない/\》音信《たより》でもあった事か」
 と思わず褄《つま》を取りまして、其処《そこ》に有合せた庭草履を穿《は》いて彼《か》の生垣の処へ出て見ると、十間ばかり先の草原《くさばら》に立って居りまして、頻りと招く様子ゆえお竹は、はてな……と怪しみながら又跡を慕ってまいりますと、又男が後《あと》へ退《さが》って手招きをするので、思わず知らずお竹は畠続きに洪願寺の墓場まで参りますと、新墓《しんばか》には光岸浄達信士という卒塔婆《そとば》が立って樒《しきみ》が上《あが》って、茶碗に手向《たむけ》の水がありますから、あゝ私ゃア何うして此
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