出ましたが、あの花壇の菊は余程咲いたかの」
菊「余程咲きました、咲乱れて居ります」
大「一寸《ちょっと》見たいもんだの」
菊「じゃアお雪洞《ぼんぼり》を点《つ》けましょう」
大「然《そ》うしてくれ」
菊「お路地のお草履《ぞうり》は此処《これ》にあります、飛石《とびいし》へお躓《つまず》き遊ばすと危《あぶの》うございますよ」
大「おゝ宜《よ》い/\/\」
と蹌《よろ》けながらぶらり/\行《ゆ》くのを、危いからお菊も後《あと》から雪洞を提げて外の方へ出ると花壇があります。此の裏手はずっと崖になって、下《くだ》ると谷中|新幡随院《しんばんずいいん》の墓場|此方《こちら》はお馬場口になって居りますから、人の往来《ゆきゝ》は有りません。
大「菊々」
菊「はい」
大「其処《そこ》へ雪洞を置けよ」
菊「はい置きます」
大「灯火《あかり》があっては間が悪いのう」
菊「何を御意あそばします」
大「これ菊、少し蹲《しゃが》んでくれ」
菊「はい」
左の手を出して……お母《ふくろ》が二歳《ふたつ》三歳《みッつ》の子供を愛するようにお菊の肩の処へ手をかけて、お菊の顔を視詰《みつ》めて居りますから、
菊「あなた、何を遊ばしますの、私《わたくし》は間が悪うございますもの……」
大藏は四辺《あたり》を見て油断を見透《みすか》し、片足|挙《あ》げてポーンと雪洞を蹴上《けあ》げましたから転がって、灯火《あかり》の消えるのを合図にお菊の胸倉を捉《と》って懐に匿《かく》し持ったる合口《あいくち》を抜く手も見せず、喉笛へプツリーと力に任せて突込《つきこ》む。
菊「キャー」
と叫びながら合口の柄《つか》を右の手で押え片手で大藏の左の手を押えに掛りまするのを、力に任せて捻倒《ねじたお》し、乗掛って、
大「ウヽー」
と抉《こじ》ったから、
菊「ウーン」
パタリとそれなり息は絶えてしまい、大藏は血《のり》だらけになりました手をお菊の衣類《きもの》で拭きながら、密《そっ》と庭伝いに来まして、三尺の締《しまり》のある所を開けて、密っと廻って林藏という若党のいる部屋へまいりました。
二十二
大「林藏や、林藏寝たか林藏……」
林「誰だえ」
大「己だ、一寸《ちょっと》開けてくれ」
林「誰だ」
大「己だ、開けてくれ、己だ」
林「いやー旦那さまア」
大「これ/\」
林「何うして此様《こん》な処へ」
大「静かに/\」
林「ど何ういう事で」
大「静かに……」
林「はい、只今開けます、灯火《あかり》が消えて居りますから、只今……先刻《さっき》から種々《いろ/\》考えて居て一寸《ちょっと》も眠《ね》られません、へえ開けます」
がら/\/\。
林「先刻の事が気になって眠《ねむ》られませんよ」
大「一緒に来い/\」
林「ひえ/\」
大「手前の手許《てもと》に小短い脇差で少し切れるのがあるか」
林「ひえ、ござえます」
大「それを差して来い、静かに/\」
と是れから林藏の手を引いて、足音のしないように花壇の許《もと》まで連れて来まして、
大「これ」
林「ひえ/\」
大「菊は此の通りにして仕舞った」
林「おゝ……これは……どうもお菊さん」
大「これさ、しッ/\……主人の言葉を背《そむ》く奴だから捨置き難い、どうか始終は林藏と添わしてやりたいから、段々話をしても肯入《きゝい》れんから、已《や》むを得ず斯《かく》の通り致した」
林「ひえゝ、したがまア、殺すと云うはえれえことになりました、可愛相な事をしましたな」
大「いや可愛相てえ事はない、手前は菊の肩を持って未練があるの」
林「未練《めれん》はありませんが」
大「なアに未練《みれん》がある」
と云いながら、やっと突然《いきなり》林藏の胸倉を捉《とら》えますから、
林「何をなさいます」
と云う所を、押倒しざま林藏が差して居ました小脇差を引抜いて咽笛《のどぶえ》へプツーリ突通《つきとお》す。
林「ウワー」
と悶掻《もが》く所を乗掛って、
大「ウヽーン」
と突貫《つきつらぬ》く、林藏は苦紛《くるしまぎ》れに柄元《つかもと》へ手を掛けたなり、
林「ウヽーン」
と息が止りました。是から大藏は伸上って庭外《そと》を見ましたが人も来ない様子ゆえ、
大「しめた」
と大藏は跡へ帰って硯箱を取出して手紙を認《したゝ》め、是から菊が書いた起請文を取出して、大藏とある大の字の中央《まんなか》へ(ー《ぼう》)を通して跳《は》ね、右方《こちら》へ木の字を加えて、大藏を林藏と改書《なお》して、血をべっとりと塗附けて之を懐中し、又々庭へ出て、お菊の懐中を探して見たが、別に掛守《かけまもり》もない、帯止《おびどめ》を解《ほど》いて見ますと中に守《まもり》が入って居《おり》ますから、其の中へ右の起請を納《い》れ、元の様《よう》に致して置き、夜《よ》
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