晩は宜《よ》い間《ま》にお目に懸れました」
春「他《ひと》に知れてはならんが、今夜は雪が降って来たので、廻りの者も自然役目を怠って、余りちょん/\叩いて廻らんようだが、先刻《さっき》ちょいと合図をしたから、ひょっと出て来ようと存じてまいったが、此の事が伯父に知れた日にア実に困るから、他《ひと》に知れんようにして私《わし》も会いたいと思うから、来年三月|宿下《やどさが》りの折に、又例の亀井戸の巴屋《ともえや》で緩《ゆっ》くり話を致しましょう」
女「宿下《やどさがり》の時と仰しゃっても、本当に七夕様のようでございますね、一年に一度しきゃアお目通りが出来ないのかと思いますと、此の頃では貴方の夢ばかり見て居りますよ、私《わたくし》は思いの儘なことを書いて置きましたから、これを篤《とっ》くり見て下されば分りましょう、私の身にかゝる事がございますからお持ち遊ばせ」
と渡す途端に後《うしろ》から突然《だしぬけ》に大声で、
大「火の廻り」
という。二人は恟《びっく》り致しまして、後《あと》へ退《の》き、女は慌《あわ》てゝ開き戸を締めて奥へ行《ゆ》く。彼《か》の春部という若侍も同じく慌てゝお馬場口の方へ遁《に》げて行く。大藏は密《そっ》と後《あと》へ廻って、三尺の開戸《ひらきど》を見ますと、慌てゝ締めずにまいったから、戸がばた/\煽《あお》るが、外から締りは附けられませんから石を支《か》って置きまして、独言《ひとりごと》に、
大「困ったな、女が手紙を出したようだが、男の方で取ろうという処を、己が大きな声で呶鳴《どな》ったから、驚いたものか文を落して行った、これは宜《よ》い物が手に入《い》った」
と懐へ入れて詰所へ帰り、是から同役と交代になります。
大「此の手紙をいつぞは用に立てよう」
と待ちに待って居りました。彼《か》の春部というものは、お小姓頭を勤め十五石三人扶持を領し、秋月の甥《おい》で、梅三郎《うめさぶろう》という者でございます。お目附の甥だけに羽振が宜しく、お父《とっ》さまは平馬《へいま》という。梅三郎は評判の美男《びなん》で、婀娜《あだ》な、ひんなりとした、芝居でいたせば家橘《かきつ》か上《のぼ》りの菊の助でも致しそうな好男《いゝおとこ》で、丁度其の月の二十八日、春部梅三郎は非番のことだから、用達《ようた》し旁々《かた/″\》というので、根津の下屋敷を出まして、上野の広小路で買物をいたし、今山下の袴腰《はかまごし》の方へ掛ろうとする後《うしろ》から、松蔭大藏が声をかけ
大「もし/\春部さま/\」
梅「あい、これは大藏殿かえ」
大「へえ、今日《こんにち》は好《よ》いお天気になりました、お非番でげすか」
梅「あゝ幸い非番ゆえ浅草へでもまいろうかと思う」
大「へえ私《わたくし》も今日《こんにち》は非番で、ま別に知己《しるべ》もありませんし、未《ま》だ当地の様子も不慣《ふなれ》でございますから、道を覚えて置かなければなりません、切《せ》めて小梅のお中屋敷へまいる道だけでも覚えようと存じて、浅草から小梅の方へまいろうと存じまして、実は頼合《たのみあわ》せてまいりました」
梅「然《そ》うかえ、三作《さんさく》はお前の相役《あいやく》だね」
大「へえ左様でござります、えゝ春部さま、貴方少々伺いたい儀がござりますが、決してお手間は取らせませんから、あの無極庵《むきょくあん》(有名の蕎麦店《そばや》)まで、えへ貴方少々御馳走に差上げるというは甚《はなは》だ御無礼な儀でござりますが、一寸《ちょっと》伺いたい儀がござりますから、お急ぎでなければ無極の二階までおいでを願います」
梅「別に急ぎも致さんが、何か馳走をされては困ります、お前は大分《だいぶ》下役の者へ馳走をして振舞うという噂があるが余り新役中に華美《はで》な事をせんが宜《よ》いと伯父も心配しています」
大「へえ、毎度秋月さま渡邊さまのお引立に因《よ》りまして、不肖の私《わたくし》が身に余る重役を仰付けられ、誠に有難いことで決してお手間は取らせませんから」
梅「いや又にいたそう」
大「どうか甚だ御無礼《ごむれい》でございますが何卒《どうぞ》願います、少々お屋敷の御家風の事に就《つい》て伺いたい儀がございます」
梅「左様か」
と素《もと》より温厚の人でございますから、強《た》ってと云うので、是から無極の二階へ通りました。追々|誂物《あつらえもの》の肴が出てまいりましたから、
大「女中今少しお話し申す事があるから、誰も此処《こゝ》へ参らんようにしてくれ、用があれば手を拍《う》って呼ぶから」
女中「はい、左様なれば此処を閉めましょうか」
大「いや、それは宜しい……えゝお急ぎの処をお引留め申して何とも恐入りました」
梅「あい何だえ、私《わし》に聞きたい事というのは」
大「えゝ、外でもござりませんが、
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