》くと仰しゃるは、己がへの義理で仰しゃるだ、憎くて置かれねえ奴だが、此の旦那さまも斯《こん》なにお義理堅《ぎりがて》えから、此の旦那様に免じて当分|家《うち》へ置いてくれるから、此処《こゝ》に隠れて[#「隠れて」は底本では「隠ねて」]いるが宜《え》い」
清「そんなれば早く然《そ》う云えば宜《い》いに、後《あと》でそんな事を云うだから駄目だ、石原の子息《むすこ》がぐず/\して居て困る事ができたら、私《わし》が殴殺《ぶっころ》しても構わねえ」
と是から二人は此の六畳の座敷へ足を止める事になりますと、お屋敷の方は打って変って、渡邊織江は非業に死し翌日になって其の旨を届けると、直《す》ぐさま検視も下《お》り、遂に屍骸《しがい》を引取って野辺の送りも内証《ないしょ》にて済ませ、是から悪人|穿鑿《せんさく》になり、渡邊織江の長男渡邊|祖五郎《そごろう》が伝記に移ります。
二十六
さて其の頃はお屋敷は堅いもので、当主が他人《ひと》に殺された時には、不憫《ふびん》だから高《たか》を増してやろうという訳にはまいりません、不束《ふつゝか》だとか不覚悟だとか申して、お暇《いとま》になります。彼《か》の渡邊織江が切害《せつがい》されましたのは、明和の四年|亥歳《いどし》九月十三|夜《や》に、谷中瑞林寺の門前で非業な死を遂げました、屍骸を引取って、浅草の田島山《たじまさん》誓願寺《せいがんじ》へ内葬を致しました。其の時検使に立ちました役人の評議にも、誰が殺したか、織江も手者《てしゃ》だから容易な者に討たれる訳はないが、企《たく》んでした事か、どうも様子が分らん。死屍《しがい》の傍《わき》に落ちてありましたのは、春部梅三郎がお小姓若江と密通をいたし、若江から梅三郎へ贈りました文と、小柄《こづか》が落ちてありましたが、春部梅三郎は人を殺すような性質の者ではない、是も変な訳、何ういう訳で斯様《かよう》な文が落ちてあったか頓と手掛りもなく、詰り分らず仕舞でござりました。織江には姉娘《あねむすめ》のお竹と祖五郎という今年十七になる忰《せがれ》があって、家督人《かとくにん》でございます。此者《これ》が愁傷《しゅうしょう》いたしまして、昼は流石《さすが》に人もまいりますが、夜分は訪《と》う者もござりませんから、位牌に向って泣いてばかり居りますと、同月《どうげつ》二十五日の日に、お上
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