が、起請まで取交《とりかわ》して心中を仕ようとは思いません、実に憎い奴とは思いながら、誠に不憫な事をして、お前の心になって見れば、立腹する廉《かど》はない、お前には誠に気の毒で、忠平どんも未だ年若《としわか》ではあるし、他に兄弟もなく、嘸《さぞ》と察する、斯うして一つ屋敷内《やしきうち》に居るから、恥入ることだろうと思う、実に気の毒だが、斯《こ》の道ばかりは別だからのう」
忠「へえ、(泣声にて)お父《とっ》さん何《なん》たる事になりましたろう、私《わたくし》は旦那様の処へ奉公をして居りましても、他の足軽や仲間共に対して誠に顔向けが出来ません、一人の妹が此様《こん》な不始末を致し、御当家様へ申訳がありません」
大「いや、仕方がないから、屍体《したい》のところは直《すぐ》に引取ってくれるように」
岩「へえ畏《かしこま》りました」
 と岩吉も忠平も本当らしいから、仕方がない、お菊の屍骸を引取って、木具屋の岩吉方から野辺の送りをいたしました。九月十三|夜《や》に、渡邊織江は小梅の御中屋敷《おなかやしき》にて、お客来がござりまして、お召によって出張いたし、お饗応《もてなし》をいたしましたので、余程|夜《よ》も更けましたが、お客の帰った跡の取片付けを下役に申付けまして、自分は御前を下《さが》り、小梅のお屋敷を出ますと、浅草寺《あさくさ》の亥刻《よつ》の鐘が聞えます。全体此の日は船上忠平も供をして参っておったところが、急に渡邊の宅《たく》から手紙で、嬢様が少しお癪気《しゃくけ》だと申してまいりました。嬢様の御病気を看病致すには、慣れたものが居《お》らんければ不都合ゆえ、織江が忠平に其の手紙を見せまして、先へ忠平を帰しましたから、米藏《よねぞう》という老僕《おやじ》に提灯を持たして小梅の御中屋敷を立出《たちい》で、吾妻橋《あずまばし》を渡って田原町《たわらまち》から東本願寺へ突当《つきあた》って右に曲り、それから裏手へまいり、反圃《たんぼ》の海禅寺《かいぜんじ》の前を通りまして山崎町《やまざきちょう》へ出まして、上野の山内《さんない》を抜け、谷中門へ出て、直ぐ左へ曲って是から只今角に石屋のあります処から又|後《あと》へ少し戻って、細い横町《よこちょう》を入ると、谷中の瑞林寺《ずいりんじ》という法華寺《ほっけでら》があります、今三浦の屋敷へ程近い処まで来ると、突然《だしぬけ》に飛出し
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