洒落だと仰しゃるから印形を捺《お》しましたが、そうでなければ女房を書入《かきいれ》の証文に印形を突きは致しません」
蟠「黙れ、手前洒落に首と釣換えの印形を捺すか、誰が洒落に金を貸す奴があるか、出入の町人に天下の通用金百両と云う大金を貸すは忝《かたじけ》ないと思え、洒落に貸す奴があるか、痴漢《たわけ》め、お村が欲しければ金を返せ、己《おれ》が間へ介《はさ》まって迷惑に及ぶぞ、痴漢め」
友「これは驚きましたな、どうも余りと云えば呆れ果てた仰しゃり分でげす、宜しい、私も紀伊國屋です何も金を返せなら返せで催促を遊ばして、女房を取上げんでも宜《よ》い、お村を鳥渡《ちょっと》貸せと仰しゃるから上げたので何もそれを抱いて寝る事はありません、お村も亦《また》抱かれて寝ることはありません、金を持って参ります」
蟠「当然《あたりまえ》で」
友「金を拵《こしら》えて持って参ります」
と真青《まっさお》な顔をして涙を浮べ唇の色も変えて友之助飛出したが、只今と違い其の頃百金と云うは容易に人が貸しません。正直な者でも明後日《あさって》来いとか明日《あした》来いとか云う人ばかりでございます。翌日になり漸《ようや》く七所借《なゝとこがり》をして百両|纒《まと》めて、日の暮々《くれ/″\》に大伴蟠龍軒の中の口から案内もなしで通りましたが、前と違い門弟|衆《しゅ》も待遇《あしらい》が違う。
門弟「これ/\紀伊國屋、無沙汰で中の口から通る奴があるか」
友「へえ先生にお目に懸りたい」
門弟「取次いで遣るから其処《そこ》に居れ、何《なん》の用だ」
友「いゝえ、来いと仰《おっし》ゃるから参ったので、金を持って来たのです」
蟠「誰か来たか……なに紀伊國屋が来た、余り小言を云わぬが宜《よ》い、さア這入《はい》れ、宜しいから此処《こゝ》へ来い」
友「先生、金子百両|慥《たしか》にお返し申しますから証文とお村を引換《ひきかえ》にどうぞお返しなすって下さい」
蟠「何《なん》と、そんなに顔色を変えて泣面《なきつら》をするな、これは百金だな」
友「左様で、百両借りたから百両持って参ったのです」
蟠「痴漢《たわけ》、手前は三百両借りたのではないか」
友「何を仰しゃる、私は百金しか借りた覚えはありません」
蟠「黙れ、手前は上《のぼ》せて居《お》るな」
友「お前さんが上せている町人を欺《だま》してそんな」
蟠「これ/\何を大きな声をする……これ此の通り「金三百両|但通用金也《たゞしつうようきんなり》」どうだ、これを見ろ」
友「へえ……おや/\」
と友之助は証文を見ると阿部忠五郎が金の字と百の字の間を少し離して書いて、其の間へ無理に三の字を平《ひら》ったく篏込《はめこ》んで入字《いれじ》をした百両の証文が三百両だから、
友「これは/\三百両」
蟠「ソーレ見ろ、三百両どうだ、手前得心で印形を捺《お》したではないか、痴漢《たわけ》め……蟠作これへ出ろよ、百金を持って来たからお村を返せと云うが返して遣るか」
蟠作[#「蟠作」は底本では「蟠」と誤記]「怪《け》しからぬことでげす」
と云いながらスラリッと襖《ふすま》を開けると蟠作に続いて出ましたのがお村、只今で云う権妻《ごんさい》です。お妾姿で髪は三《み》つ髷《わ》に結い、帯をお太鼓にしめてお妾然として坐りました。続いて柳橋のお村の母お崎|婆《ばゞあ》が隠居らしく小紋の衣物《きもの》で前帯にしめて、前へのこ/\出て来た。
友「おやお村、お母《っかあ》も」
お崎「誠に貴方方《あなたがた》には相済みませんが私《わたくし》も友之助には云うだけの事は申しますから、はい……己《おれ》が云うことを能く聞け」
とお村の前へ進み出まして、友之助を捕まえ悪口《あっこう》を云う、これが大間違いになります初めでございます。
十二
慾深き人の心と降る雪は積るにつけて道を遺《わす》るゝと云う、慾の世の中、慾の為には夫婦の間中《あいなか》も道を違えます人心《ひとごゝろ》で、其の中にも亦《また》強慾《ごうよく》と云うのがございます。大慾は無慾に似たりと云って余り慾張り過ぎまして身を果《はた》す様なる事が間々《まゝ》ございます。お村のお母《ふくろ》などは強慾に輪をかけましたので、実に慾の国から慾を弘めに来たと云う、慾の学校でも出来ますれば教師にも成ろうと云う強慾張《ごうよくばり》で、筋と肉の間へ慾がからんで慾で肥《ふと》る慾肥りと云うのは間々あります。頭の真中《まんなか》が河童《かっぱ》の臀《しり》のように禿《は》げて居ります、若い中《うち》ちと泥水を飲んだと見えて、大伴蟠龍軒の襟《えり》に附きまして友之助の前へ憎々しく出て来まして、
崎「おい友之助、お前は本当に酷《ひど》い人だのう、私の只《たっ》た一人の娘を強《たっ》てくれと云うので、お前は業平橋の文治郎と云う奴を頼んで掛合いに来た其の時、私は遣《や》ることは出来ねえと云ったら、文治郎と云う奴は友之助の所へお村を遣らなければ縊殺《くびりころ》すと云って理不尽に咽喉《のど》を締めて、苦しくって仕方がねえから、はいと云ったが、其の時の掛合にのう、お母《っかあ》には月々五両ずつ小遣《こづかい》を贈ろうと云ったが、毎月々々《まいげつ/\》送ったことがあるか、やれ家《うち》を越したの、やれ品物を仕入れるの、店を造作《ぞうさく》するのと云って丁度金を送ったことはありゃアしねえ、大事な一人娘を何故親に無沙汰で、此方様《こちらさま》へ来て博奕《ばくち》同様な賭碁に書入れた、三百両と云う大金でお前は碁を打って楽しんだろうが、親に無沙汰で書入れて仕舞って、此方様だから宜《い》い、お母《ふくろ》ぐるみ引取るから心配するなと仰しゃるが、若し悪い者の手に掛れば女郎に売られるか知れやしねえ、太《ふて》い奴だ、縁切《えんきり》で遣った娘ではねえ、嫁に遣れば姑《しゅうと》だよ、己《おれ》に一応の話もしねえで、沙汰なしに金の抵当《かた》に書入れられて溜《たま》るものか、手前《てめえ》のような奴に何《なん》と言ったって再び娘は遣りゃアしねえからそう思いなよ」
友「お母《っかあ》それはねお前が腹を立つのは尤《もっと》もだけれども、是には種々《いろ/\》な深い訳のあることで、私も此方様へ二月からお出入して、初めはやれこれ云って有難い花主《とくい》と思って、此様《こんな》に人を欺《だま》すようなことをなさろうとは思わなかったが、後月《あとげつ》来たら碁を打て/\と先生が勧めるから、お相手の積りで碁を打って、初めは私に飴を食わせ、勝たして置いて賭碁をしろと仰しゃり、向うの企《たく》みとは知らず、洒落と思ってうっかり証文を書いたのが私の過《あやま》りだ、過りだけれども金は百両しか借りはしない、だが三百両でなければお村は返さないと仰しゃるから、どんなにも才覚してお村を取返しに来ようし、後《あと》でお前に話をするからお村だけは何卒《どうぞ》私の方へ返して下さい」
母「誰が手前《てめえ》に返す奴があるものか……これお村、手前《てめえ》もこんな不人情な奴にくっついていたって仕様がねえ、諦めの着くように判然《はっきり》と云って仕舞いなよう、愚図々々するから此奴《こいつ》がこけの未練で思い切れねえから、思い切って云って仕舞えったら云って仕舞いなよ、こんな意気地《いくじ》なしの腰抜にくっついていたって仕様がねえ、食えなくならア、判然と云いなよ、縁を切って仕舞いなよ」
村「あの友さん、私はね今度と云う今度はお母《っかあ》の云う通り呆れたよ、お前も新店のことだから是だけ代物《しろもの》を仕入れなければならない、土蔵も建てなければならぬとか、店の造作《ぞうさく》するに金が入るとかの為に少しの間女郎になれとか、抵当《かた》に書入れるとか云うなれば、夫婦相談で出来まいものでもないけれども、私は本当に呆れたよ、私に話もしないで此方様《こちらさま》へ書入れにして金を借《かり》るとは余《あんま》りではないか、お前のような不人情な人に附いていても、どんな目に逢うか知れないから、何卒《どうぞ》夫婦の縁は是れ切《ぎ》りにしておくんなさい、私ばかりが女じゃアない、世界には幾らも女があるから、賭博《ばくち》をする時書入れられても宜《い》いと云う様な、お前に惚れている人を女房にお持ち、私はお前に愛想《あいそ》が尽きて嫌《いや》だから、これから夫婦の縁はお母《っかあ》のいる前で切っておくれ」
母「能く云った/\、諦らめなよ、お村の腹が変っては役に立たねえ、さア/\帰れ、遣らぬと云ったら遣りませんよ」
と云う中《うち》友之助の眼は血走って、唇の色は紫色になり、
友「お村、余《あんま》り愛想尽《あいそづか》しを云うじゃアないか、決してお前を書入にしたのではない、書入は真《ほん》の洒落だと云うから、うっかり書いたは過《あや》まりだが、今になって金の有る大伴蟠作の襟に附いて己を振り付けては、去年の暮、牛屋の雁木で助けられた文治郎様へ済むめえ」
蟠「これ/\お村とはなんだ、今までは手前の女房だろうが、もう当家へ来ては妾だ、お村様と云え」
友「何を云うのだ、お村様も何もない、私の女房に違いございません、此方《こっち》へ出ろ、此の畜生め、どうも口惜《くや》しいたって、こんな証文などを拵《こしら》えて、お前さん立派な剣術の先生で、弟子子《でしこ》もあり、大小を挿《さ》す身の上で、入字《いれじ》をして証文を拵えるとは、これじゃア騙《かた》りだ」
蟠「これ/\、騙りとはなんだ、苟《かりそ》めにも一刀流の表札を出す蟠龍軒だ」
友「騙りだ/\」
と夢中になって友之助身を震わして騙り/\と金切声で言うと、ばら/\と内弟子が三四人来て、不埓至極な奴、先生を騙りなどと悪口雑言《あっこうぞうごん》をしては捨置かれぬ、出ろと襟髪《えりがみ》を取って腕を捕《つか》まえて門前へ引摺り出し、打擲して、前に申し上げた通り割下水の溝《みぞ》へ倒《さか》さまに突込《つきこ》んで、踏んだり蹴たり、半死半生《はんしはんしょう》息も絶え/″\になりましたが、口惜しいから、
友「さア殺せ、さア殺して仕舞え/\」
と云う声、実に悲鳴を放って苦し[#「し」は底本では欠如]んでいるのでございます。処へ文治郎通り掛ったが、母が同道でございますから、何分《なにぶん》にも問うことも出来ません。宅へ帰って森松に耳こすりして、全く友之助が蟠龍軒の為に酷《ひど》い目に遇《あ》っているなら、助けないで彼《あ》のまゝにして置けば必ず死ぬから、早く見て来いと云うから、森松は飛出して割下水へ来て見ると、四辺《あたり》はひっそりとしていたけれども、其の者は溝《どぶ》から這上《はいあが》って這うようにして彼方《あっち》へ行った此方《こっち》へ行ったと人の話を聞いて、だん/\跡を追って吾妻橋へ掛りますと、ポツリ/\大粒の雨が顔に当ります。ピュウ/\と筑波下《つくばおろ》しが吹き、往来はすこし止りましたが、友之助はびしょ濡《ぬれ》の泥だらけ、元結《もとゆい》ははじけて散乱髪《さんばらがみ》、面部は耳の脇から血が流れ、ズル/\した姿《なり》で橋の欄干に取付き、
友「口惜しい、畜生め、町人と思って打ち打擲して、人を半死半生に殺しゃアがったな、あゝ己は口惜しい、己は此の橋から飛込んで三日|経《たゝ》ぬ中《うち》に皆《みんな》取殺すからそう思え、エー口惜しい」
と狂気致したようになって欄干に手を掛けると、バタ/\跡から来たは森松、
森「友さん/\おい仕様がねえ、友さん確《しっ》かりしねえ」
友「止めてはいけません、何卒《どうぞ》離しておくんなさい、生甲斐《いきがい》のない身体、殺しておくんなさい」
森「何を云うのだ、お前《めえ》能く考え違《ちげ》えをしてはいかねえ、お前《めえ》狼狽《うろた》えちゃアいけねえ、旦那が心配しているんだ、旦那は此の節《せつ》外へ出られねえから己に行って見ろというから来たのだ」
友「三日|経《たゝ》ぬ中《うち》に取殺します」
森「そんなことを云ったって仕様がねえ、能
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