、今日は幸い天気も好《よ》いからお父様《とっさま》のお墓|詣《まい》りに行《ゆ》きましょう」
文「へえお供いたしましょう」
と其の日は墓詣りに行き、今日は観音《かんおん》、明日《あす》は何処《どこ》と遊歩にまいり、帰りにお汁粉でも食べて帰る位でございます。廿五六の壮年《さかりどし》のものがお母《っか》さんの手を曳いて歩き、帰りに達摩汁粉を食って帰って来る者は世間にはありませんが、文治郎は母の云うなり次第になって、五月までは決して一人《いちにん》で外出《そとで》を致しませんでしたが、安永九年に本所|五目《いつゝめ》の羅漢堂《らかんどう》建立《こんりゅう》で栄螺堂《さざえどう》が出来ました。只今では本所の割下水へ引けましたが、其の頃は大《たい》した立派な堂でございました。文治郎|母子《おやこ》も五百羅漢寺へ参詣して帰って参りました。丁度日の暮方《くれがた》、北割下水へ通り掛りますと、向うの岸が黒山のような人立で、剣客者《けんかくしゃ》の内弟子らしい、袴《はかま》をたくしあげ稽古着《けいこぎ》を着て、泡雪《あわゆき》の杓子《しゃくし》を見た様な頭をした者が、大勢で弱い町人を捕《つかま》えて打ち打擲致し、割下水の中へ打込《ぶちこ》んで、踏んだり蹴たりします。彼《か》の町人は口惜《くや》しいから、
町「殺せ、さア殺して仕舞えあゝ口惜しい」
と泣声も絶え/″\になりましたが、遠くに立って居ります者も、相手が侍で屋敷の前でございますから、逡巡《あとずさ》りをして唯騒いでいるのみでございます。
「何《なん》でございます」
「何ですか分りませんが、向うは大伴《おおとも》蟠龍軒《ばんりゅうけん》と云う剣客者だそうでございます、其の内弟子が町人体《ちょうにんてい》の者を捕まえて打ち打擲しますが、余程悪いことをしたのでしょう」
「もし彼《あれ》は何《なん》でございます」
「泥坊で縁の下に隠れていたのだそうです」
「縁の下から刀と槍《やり》が出たそうです」
「へー剣術|遣《つか》いの家《うち》へ泥坊が入ったのですか」
「そうじゃアない、火を放《つ》けたのだそうです、火を放けて燃え上ろうとする処を揉消《もみけ》したんだそうです」
「火を放けたんですか、物にならなくってお互に好《い》い塩梅《あんばい》でした」
「なアに妾《めかけ》を盗んだそうです、剣術遣いの妾を町人が盗んだのだと云うことです」
「なアに借のある奴がしらばっくれて表を通る処を捕えたのだそうです」
「なアに、そうじゃアない、出入の町人の女房を取られたのだとね、金を取られた上にあんな目に逢うのだとね」
「そうじゃアない巾着切《きんちゃくき》りだと」
などと少しも分りません。処へ文治郎が通り掛りますと、向うから知って居《お》る者が参りまして、
「旦那|今日《こんち》は」
文「これは暫《しばら》く」
「今日《こんち》は何方《どちら》へ」
文「母と羅漢寺へ参詣に参りました…向うに人立ちのして居《お》るのは何《なん》です」
「彼《あれ》はたしか旦那様御存じでございましょう、もと駒形にいて今は銀座に店を出している袋物屋だそうです、彼処《あすこ》へ出入中に金の抵当《かた》に女房を取られ、金を返しに行ったところが、金を取られ、女房は返えさず打ち打擲したそうです、口惜しいから悪態を云うと門弟が引出して、彼《あ》の通り打《ぶ》ったり溝《どぶ》の中へ突込《つきこ》んだりして、丸で豚を見たようです、太《ふて》い奴ですなア」
文「何《なん》ですか、あの紀伊國屋の友之助ですか」
「私《わたくし》は知りませんが隣り屋敷の家来が塀へ上《のぼ》って見たら彼《あ》の男だと云う話ですが、非道《ひど》い奴ですなア」
文「女房を取られ、彼《あ》の倒《さかさま》になっているのは友之助ですか、ふゝん」
と怒りに堪えず二歩《ふたあし》三歩《みあし》行《ゆ》きに掛りますと、
母「あゝ文治郎お前はまア見相《けんそう》を変えて何処《どこ》へ行《ゆ》くのだえ」
文「へー/\……鳥渡《ちょっと》手水《ちょうず》を致そうと存じまして」
母「フーム、少し余熱《ほとぼり》が冷《さめ》ると直《すぐ》に持った病が出ます、二の腕の刺青《ほりもの》を忘れるな」
文「はい」
と母と一緒だからどうにも出来ません、仕方がないから其の儘見捨てゝ母と共に宅へ帰りました。これから母の教えが守り切れず、大伴の道場へ切込む達引《たてひき》のお話、一寸《ちょっと》一と息つきまして申し上げます。
十一
さて友之助が斯様《かよう》な酷《ひど》い目に逢うのは何《ど》う云う訳かと云うと、友之助はおむらに勧められて文治郎の近所にいるのは気詰りだから、他《た》へ越せ/\と云うので、銀座三丁目へ引越《ひきこ》したのは二月の二十一日でございます。店開きを致して僅《わず》か十日ばかり経《た》つ中《うち》に、友之助は店に坐って商いをして居ります。袋物店《ふくろものみせ》でございまして、間口は狭くも良い代物《しろもの》があります。おむらは台所廻り炊事《かしぎ》の業《わざ》などをいたして居ります。ふと通り掛った武士、黒羅紗《くろらしゃ》の山岡頭巾《やまおかずきん》を目深《まぶか》に冠《かぶ》り、どっしりとしたお羽織を着、金造《きんづく》りの大小で、紺足袋に雪駄《せった》を穿《は》き、今|一人《いちにん》は黒の羽織に小袖を着て、お納戸献上《なんどけんじょう》の帯をしめて、余り性《しょう》は宜しくないと見えて、何か懐中へ物を入れて居《お》ると帯が皺くちゃになって、掛《かけ》は頂垂《うなだ》れて、雪駄穿《せったばき》と云うと体《てい》は良いが、日勤草履《にっきんぞうり》で金《かね》が取れ、鼠の小倉《こくら》の鼻緒が切れて、雪駄の間から経木《きょうぎ》などが出るのを、踵《かゝと》でしめながら歩くという剣呑《けんのん》な雪駄です。微酔《ほろよい》機嫌で赤い顔をして友之助の店先へ立ち、
士「こう阿部氏《あべうじ》、大分《だいぶ》この袋物屋には良い品がある様だ」
阿「左様でげすか、貴方は今迄のお出入がありながらお好《すき》だから良い店へ立寄ると買い度《たく》なりますと見えますね」
士「妙なもので丁度婦人が小間物屋の店へ立った様なものだ」
阿「良い物がありますかね」
士「これ/\亭主、其の袂持《たもともち》の莨入《たばこいれ》を見せろ」
友「まアお掛け遊ばせ、好《よ》いお天気様で、エー新店《しんみせ》の事で、エー働きますが御贔屓《ごひいき》を願います」
士「あゝ、草臥《くたびれ》たから少し腰を掛けさせてくれ…其の金襴《きんらん》の莨入を遣物《つかいもの》にしたいと思うが見せろ」
友「へい/\/\御進物にはこれは飛んだお見附《みつき》も宜しく、出した処も宜しゅうございます、この方は二段口になって、これは更紗形《さらさがた》で、表は印伝になって居りますから」
士「大分良い物がある……阿部氏何んぞ買わぬか」
阿「どうもいけません……手前煙草がいけませんから欲しくございません……御亭主大層良い品があるね」
友「どうも品物が揃《そろ》いませんで……これお茶を上げなよ」
むら「はい」
と奥から出ましたお村は袋物屋の女房には婀娜《あだ》過ぎるが、達摩返しに金の簪《かんざし》、南部の藍《あい》の子持縞《こもちじま》に唐繻子《とうじゅす》に翁格子《おきなごうし》を腹合せにした帯をしめ、小さな茶盆の上へ上方焼《かみがたやき》の茶碗を二つ載せ、真鍮《しんちゅう》象眼《ぞうがん》の茶托《ちゃたく》がありまして、鳥渡《ちょっと》しまった銀瓶《ぎんびん》と七兵衞《しちべえ》の急須《きゅうす》を載せて、
むら「お茶を召し上れ」
士「はい」
と彼《か》の士《さむらい》は茶碗を取りながらお村の顔を見て、顔を少し横にそむける。阿部は酔っているから心付きません。
阿「いよ、これはどうも有り難いが、願わくは手前は大きいもので水を一杯戴きたいもので」
士「御亭主」
友「へい/\」
士「貴公は本所辺で出入の処がありはせんか」
友「へい二三軒様お出入があります」
士「本所の宅へ来て貰いたいのだが何《ど》うだね、多分の物は買わぬが、序《ついで》に来て貰いたい」
友「へい/\、どういたしまして新店《しんみせ》のことで、何方様《どちらさま》へでも参ります、何《ど》う云う物が御入用様でげすか、えー宅にありませんでも取寄せて御覧に入れます」
士「提物《さげもの》が欲しいと思うが胴乱《どうらん》の様な物はないか」
友「左様でげす、丁度良い塩梅《あんばい》のは仕上げになって居りませんが、これは高麗青皮《こうらいせいひ》と申しまして余り沢山ないもので、高麗国の亀の皮だと申しますが、珍しいもので、蘂《しべ》が立って此の様に性質の良いのは少ないもので、へえ、これはお提物には丁度|好《よ》いと思います」
士「成程、大きさも飛んだ良いが、何か金物《かなもの》があるか」
友「左様で、お金物はこれは目貫物《めぬきもの》で飛んだ面白いもので、作《さく》は宗乘《そうじょう》と申しますが、銘はございませんが宗乘と云うことでございます、これは良い彫《ほり》でげす」
士「成程これは良く彫った、趙雲《ちょううん》の円金物図《まるがなものず》が好《よ》いな、緒締《おじめ》の良いのはありませんか」
友「へゝお珊瑚《さんご》にいたして、へえ/\却《かえ》って大きいと斯《こ》う云うお提物にはいけませんから、六|分《ぶ》半ぐらいにいたして、へい只今宅にございませんが、お出入先へ参って居りますから持参致します、これは古渡《こわた》りの無疵《むきず》で斑紋《けら》のない上玉《じょうだま》で、これを差上げ様と存じます……お根付、へい左様で、鏡葢《かゞみぶた》で、へい矢張り青磁《せいじ》か何か時代のがございます、琥珀《こはく》の様なもの、へえ畏《かしこま》りました、取寄せて持参致しますが何方様《どちらさま》で」
士「えー名札を失念したが硯箱《すゞりばこ》を」
友「へえ/\畏りました」
…すら/\と書いて、
士「本所だよ」
友「成程、本所北割下水大伴様、へえ明後日ではお遅うございましょうか」
士「宜しい、朝来ては困るから願《ねがわ》くは夕景から来れば他へ出ずに待っているよ」
友「へえ/\畏りました」
士「此の莨入を二つ買うが如何程《いかほど》だえ、左様か、釣《つり》は宜しい、宅へ来た時|序《ついで》に持って来てくれ」
友「有難うございます、恐入《おそれいり》ます、お茶も碌々《ろく/\》差上げませんで、明後日は相違なく夕方までに持参いたします、へえ/\有難うございます、左様ならお帰り遊ばせ」
阿「御舎弟」
士「えー」
阿「あなたは本所にも浅草にもお出入があるに、態々《わざ/\》銀座に、お出入を拵《こしら》えるには及びますまい」
士「そこに少し訳ありさ」
阿「訳ありとは」
士「彼処《あすこ》で茶を酌《く》んで出した婦人を見たかえ」
阿「いゝえ見ませんよ、婦人には少しも気が付きませんでしたが、あの袋物屋に種々《いろ/\》見て居りました中《うち》に、家内が茶を酌んで出した様でしたな」
士「予《かね》て貴公に話した柳橋の芸者のお村の為には、手前は兄にも叱られる程散財して、手に入れようと思ったが、袋物屋に色男があって其の者の方へ縁付いたと聞いたが、先刻《さっき》茶を酌んで出したのは柳橋のお村だよ」
阿「えーあれが、左様ですか、残念のことを致しました、手前見たいと思っていたが柳橋へお浮《うか》れの折には生憎《あいにく》お伴《とも》致しませんで、其の美人を拝見致しませんが、見たかった、残念なことをした、女房と思って気が付かんで居りました、あゝ見たかった」
士「往来で大きな声をしてはいかぬよ、まア道々話しながら」
と連《つれ》の阿部と云う男と話しながら帰りました。友之助は左様なことゝは存じません、翌々日は整然《ちゃん》と結構な品物ばかり取揃《とりそろ》えて風呂敷
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