頭痛がすると見え手拭で鉢巻《はちまき》をしているが、時々|脱《ぬ》け出すのを手ではめるから桶《おけ》のたがを見たようです。
 森「御免なせえ」
 長「へえお出《いで》なせえ、何《なん》です長屋なら一番奥の方が一軒明いている、彼所《あすこ》は借手《かりて》がねえようだが、それから四軒目の家《うち》が明いているが、些《ちっ》とばかり造作があるよ」
 森「なんだ、長屋を借りに来たのだと思ってらア、旦那お上《あが》んねえ」
 文「初めてお目に懸りました、貴方《あなた》が亥太郎さんの御尊父さまですか」
 長「へえお出《いで》なさい、誠に有難う、御苦労様です、なに大《たい》したことはありませんが、何《ど》うもお寒くなると腰が突張《つっぱっ》ていけません、奥の金《きん》さんが私《わっち》の懇意のお医者様があるから診て貰ったら宜かろうと云ったから、なアにお医者を頼む程じゃアねえと云っておいたが、それで来ておくんなすったのだろう、早速ながら脈を診ておくんなさい」
 森「何を云ってるんでえ」
 文「医者ではない、お前さんは亥太郎さんの親父《おとっ》さんかえ」
 長「へえ、私《わし》は亥太郎の親父《おやじ》です」
 文「私《わし》は本所の業平橋にいる浪島文治郎と云う至って粗忽者《そこつもの》、此の後《ご》とも御別懇に願います」
 長「なに、そう云う訳ですか、生憎《あいにく》亥太郎が居りませんが、もう蔵は冬塗る方が保《もち》がいゝが、今からじゃア遅い、土が凍りましょう」
 森「何を云うのだ、聾《つんぼ》だな…そうじゃアねえ、お前《めえ》さんは左官の亥太郎さんの親父《おとっ》さんかと聞くのだ、此方《こなた》は本所の旦那で浪島文治郎と云うお方だ」
 長「なに、江島《えじま》の天神さまがどうしたと」
 森「分らねえ爺《と》っさんだ、旦那が声が小せいから尚お分らねえのだ、最《もっ》と大きな声でお話なせえ」
 文「私《わし》は本所業平橋の浪島文治郎と申すものです」
 長「はア、本所業平橋の浪島文治郎と仰《おっし》ゃるのか、亥太郎の親父《おやじ》長藏と申します、お心|易《やす》く」
 文「此の度《たび》は誠にお前さんにお気の毒で」
 長「なアに此の度ばかりじゃアない、これは時々起るので、腰が差込んでいけません」
 森「そうじゃアねえ、旦那がお前に近付《ちかづき》に来たのだよ」
 文「亥太郎さんと私《わし》と見附前で喧嘩を致しましてねえ」
 長「へえ五時《いつゝ》前に癲癇《てんかん》が起りましたえ」
 森「そうじゃアねえ、亥太郎|兄《あにい》と此の旦那と見附前で喧嘩をして、牢|行《ゆき》になったから気の毒だって、爺《とっ》さんお前の所へ此の旦那が見舞《みめえ》に来たのだ」
 長「はあお前さん、何《ど》うも貴方の様に人柄の優しい人と喧嘩をするとは馬鹿な野郎で、大方|食《くれ》え酔《よっ》て居たのでございましょう、子供の時分から喧嘩早《けんかッぱよ》うございまして、番毎《ばんごと》人に疵《きず》を付け、自分も疵だらけになって苦労ばかりさせるが、貴方は能くまア腹立もなく見舞《みめえ》に来て下すって、誠に有難うございます、亥太郎が牢から出れば是非お詫事に連れて出ますから、何うか私《わし》に免じて勘弁しておくんなさい」
 文「何う致しまして、これは心計りですが、亥太郎さんも御気性だから健《すこや》かで速《すみやか》に御出牢になりましょうが、それまでの助けにもなるまいが、真《ほん》の土産のしるしに上げますから、何か温《あったか》い物でも買って喫《あが》って下さい」
 長「これはなんです」
 森「これは亥太郎さんが牢へ行っているから、旦那が見舞に下すったのだ、金が十両あるのだ」
 文「そんなことは云わんでも宜しい」
 森「聾的《つんてき》で分らねえな、お前《めえ》に土産にやるんだよ」
 長「なに十両私に下さるとは何たる慈悲深《なさけぶけ》いお方ですかねえ、亥太郎は交際《つきあい》が広いから牢へ差入れ物をしてくれる人は幾らもありますが、老耄《ろうもう》している親爺《おやじ》の所へ見舞に来て下さる方はありません、本当に貴方はお若いに似合《にあわ》ない親切な方です、暮に差掛《さしかゝ》って忰《せがれ》はいず、何《ど》う為《し》ようかと思っている処へ、十両と纒《まと》まった金を下さるとは有難いことで、御恩の程は忘れません、旦那様|何卒《どうぞ》御勘弁なすって下さい」
 文「なに誠に聊《いさゝ》かですよ」
 長「赤坂へお出《いで》なさるとえ」
 森「聾《つんぼ》だからしょうがねえ、行《ゆ》きましょう/\」
 文「さア帰ろう」
 と森松を連れて宅へ帰りまして、其の年の内にお村と友之助に世帯を持たせなければならんから、諸方を探すと、浅草|駒形《こまかた》に小さい家《うち》だが明家《あきや》がありましたから之《こ》れを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。袋物屋と云うものは店が小さくても金目の物が置けますから好《い》い商売でございます。友之助は荷を脊負出《しょいだ》して出入先を歩く、宅《うち》にはお村が留守居ながら商売が出来ます。お村が十九で友之助が二十六ですから飯事《まゝごと》暮しをするようでございます。其の年も暮れ、翌年になり、安永九年二月の中旬《なかば》に、文治郎の母が成田山《なりたさん》へ参詣に参りますに就《つ》き、おかやと云う実の姪《めい》と清助《せいすけ》と云う近所の使早間《つかいはやま》をする者を供に連れて出立《しゅったつ》しました。跡には文治郎と森松の両人切《ふたりぎ》りで、男世帯に蛆《うじ》がわくという譬《たとえ》の通り台所なども手廻りませんで、お飯《まんま》を炊くと柔かくってお粥《かゆ》のようなのが出来たり、硬《こわ》くって焦げたのなどが出来たりします。友之助はお村に云い付けて、斯う云う時に御恩を返さなければならん、お前お菜《かず》を拵《こしら》えるのが面倒なら、料理屋から買《かっ》てゞもいゝから毎日何か旦那の所へ持っていってお上げ。と云うので毎日昼頃になると、お村が三組《みつぐみ》の葢物《ふたもの》に色々な物を入れて持って参ります。文治は「お前がそうやって毎日長い橋を渡って持って来るのは気の毒だから来てくれないように」と断っても此方《こちら》は友之助に云い付けられたから、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使《つかい》に出して独りで居りますと、空はどんよりとして、梅も最《も》う散り掛って暖《あった》かい陽気になって来ました。お村の姿《なり》は南部の藍の乱竪縞《らんたつじま》の座敷着[#「着」は底本では「看」と誤記]《ざしきぎ》を平常着《ふだんぎ》に下《おろ》した小袖《こそで》に、翁格子《おきなごうし》と紺繻子《こんじゅす》の腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑[#「斑」は底本では「班」と誤記]《ばらふ》の櫛《くし》に珊瑚珠《さんごじゅ》五分玉《ごぶだま》のついた銀笄《ぎんかん》を挿《さ》し、前垂《まえだれ》がけで、
 村「旦那、今日《こんにち》は遅くなりまして」
 文「また来たか、誠に心にかけて毎度旨い物を持って来てくれて気の毒だ、商売をしていれば嘸《さぞ》忙《せわ》しかろうから態々《わざ/\》持って来てくれなくもいゝのに」
 村「おいしくなくっても私《わたくし》が手拵《てごしら》えにして持って参りますが、其の代りには甘ったるい物が出来たり塩っ辛い物が出来たりしますが、旦那に上げたい一心で持って参りますのですから召上って下さいまし」
 文「お前の手拵えとは辱《かたじけ》ない、日々《にち/\》の事で誠に気の毒だ、今日は丁度森松を使《つかい》にやったから、今自分で膳立《ぜんだて》をして酒をつけようと思っていた処で、丁度いゝから膳を拵えて燗《かん》をつけておくれ、手前と一杯やろう」
 と云うので、お村は立って戸棚から徳利《とくり》を出して、利休形の鉄瓶《てつびん》へ入れて燗をつけ、膳立をして文治が一杯飲んではお村に献《さ》し、お村が一杯飲んで又文治に酬《さ》し、さしつ押えつ遣取《やりとり》をする内、互いにほんのり桜色になりました。色の白い者がほんのりするのは誠にいゝ色で、色の黒い人が赤くなると栗皮茶のようになります。
 文「お村や、手前は柳橋でも評判の芸者であったが、私《わし》は無意気《ぶいき》もので芸者を買ったことはないが、手前に恩にかける訳ではないが、牛屋の雁木で心中する処を助けて、海老屋へ連れて来て顔を見たのが初めてゞ、あゝ美しい芸者だと思った其の時の姿は今に忘れねえが、彼《あ》の時の乱れた姿は好《よ》かったなア」
 村「おや様子のいゝ事を仰しゃること、家《うち》にいると私のような無意気者はないと姉さんに云われましたのを、美くしいなどと仰っては間がわるくって気がつまりますよ」
 文「いや真に美くしい女だ、手前が毎日路地を入って来ると、文治郎の家《うち》には母が留守だから隠し女でも引入れるのではないかと、長屋で噂をするものがあるから、それで手前に来てくれるなと云うのだ、友之助も母の留守へ度々来るのは快くあるまいから、もう今日|切《ぎ》り来てくれるなよ」
 村「あら、参りませんと叱られますから来ない訳には参りません、旦那様は大恩人ですから斯う云う時に御恩返しをして上げろと申し、私《わたくし》も来たいから甘《おいし》くなくっても何か拵えてお邪魔に上ります」
 文「手前が来てくれゝば己は有難いが、心中する程思い込んだ同士が夫婦になり、女房が無闇に一人で出歩けば亭主の心持は余りよくあるまい、己は独り者でいる所へ手前が毎日来て、ひょっと悋気《りんき》でも起しはしないかと思って、それが心配だ」
 村「彼様《あん》なことを仰《おっし》ゃる、悋気などはございません、何時《いつ》でも往って来い、彼様《あゝ》やって心中する処を旦那のお蔭で助かったのだから、浪島の旦那がお前を妾《てかけ》に遣《よこ》せと仰ゃれば直ぐに上げると云って居ります」
 と一寸《ちょっと》云う口も商売柄だけに愛敬に色気を含んで居ります。まさか友之助がお村を妾《めかけ》にやるとも申しますまいが、自然と云いように色気があるので、何《ど》んなものでも酒を飲むと少しは気が狂って来るものと見え、文治もお村を美《い》い女だと思った心が失せないか、
 文「手前と斯うやって酒を飲むのが一番いゝ心持だが、若《も》し己が冗談を云いかけた時は手前は何《ど》うする」
 村「おや旦那旨いことばかり仰《おっし》ゃって私などに冗談を仰ゃる気遣《きづか》いはありませんが、本当に旦那様の仰ゃることなら私は死んでも宜しい、有難いことだと思って居ります」
 文「それだから手前は世辞を云ってはいかんと云うことよ」
 村「お世辞でも何《なん》でもありません、有難いことゝ思っても仕方がないが、旦那様のような凛々《りゝ》しくって優しいお方はありませんよ」
 文「それそう云うことを云うから男が迷うのだ、罪作りな女だのう」
 と常にない文治郎は微酔《ほろよい》機嫌《きげん》で、お村の膝へ手をつきますから、お村は胸がどき/\して、平常《ふだん》からお村は文治郎に惚れて居りましたが、何時《いつ》でも文治はきりりっとしているから云い寄る術《すべ》もなくっていたのが、常に変って色めきました文治郎の様子に、
 村「旦那、本当に左様《そう》なら私は死んでも宜《よ》うございますよ」
 と云いながら窃《そ》っと文治郎の手を下へ置いて立上り、外を覘《のぞ》いて見てぴったり入《いり》□□□□□□□、□□□□□□□□、□□□□□□閉《た》て、薄暗くなった時、文治の側へぴったり坐って、
 村「旦那、貴方は本当に私の様なものをそう云って下されば、私は友之助に棄てられても本望《ほんもう》でございますが、其の時は貴方私のような者でも置いて下さいますか」
 と文治郎の□□□□□□□□□□□が、こんな美しい女に手を取られて凭《もた》れ掛《かゝ》られては何《ど》んな者でもでれすけになりますが、文治郎はにやりと笑い、お村の手を払って立上り
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