ま》と間違えるくらいな訳であります。これはその筈《はず》で、文治は品行正しく、どんな美人が岡惚《おかぼ》れをしようとも女の方は見向きもしないで、常に悪人を懲《こら》し貧窮ものを助ける事ばかりに心を用いて居ります。その昔は場末の湯屋《ゆうや》は皆|入込《いれご》みでございまして、男女《なんにょ》一つに湯に入るのは何処《どこ》かに愛敬のあるもので、これは自然陰陽の道理で、男の方では女の肌へくっついて入湯を致すのが、色気ではござりませんが只|何《なん》となくいゝ様な心持で、只今では風俗正しく、湯に仕切りが出来まして男女の別が厳しくなりましたが、近頃までは間が竹の打付格子《ぶっつけごうし》に成って居りまして、向うが見えるようになって居りますから、左の方を見たいと思うと右の頬《ほゝ》ばかり洗って居りますゆえ、片面《かたッつら》が垢《あか》で斑《ぶち》になっているお人があります。其の頃本所|中《なか》の郷《ごう》に杉の湯と云うのがありました。家《うち》の前に大きな杉の木がありますから綽名して杉の湯/\と云いますので、此の湯へ日暮方になって毎日入湯に参りますのは、年のころ廿四五で、髪は達摩返《だるま
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