業平村に居りましたゆえ業平文治と付けたのか、又は浪島を業平と訛《なま》って呼びましたのか、安永年間の事でございますから私《わたくし》にもとんと調べが付きませんが、文治は年廿四歳で男の好《よろ》しいことは役者で申さば左團次《さだんじ》と宗十郎《そうじゅうろう》を一緒にして、訥升《とつしょう》の品があって、可愛らしい処が家橘《かきつ》と小團治《こだんじ》で、我童《がどう》兄弟と福助《ふくすけ》の愛敬を衣に振り掛けて、気の利いた所が菊五郎《きくごろう》で、確《しっか》りした処が團十郎《だんじゅうろう》で、その上|芝翫《しかん》の物覚えのよいときているから実に申分《もうしぶん》はございません。文治が通りますと近所の娘さんたちがぞろ/\付いて参りまして、
 娘「きいちゃん、一寸今業平文治さんと云う旦那が入らしったから御覧なはいよ、好《い》い男ですわ、アラ今横町へ曲って行《ゆ》きましたわ、此方《こっち》のお芋屋の前を抜けて瀬戸物屋の前へ出れば逢えますよ」
 と云って娘子供が大騒ぎをするから、お婆《ばあ》さんも煙《けむ》に巻かれて、
 婆「此方《こっち》へ参れば拝めますかえ」
 と遊行様《ゆぎょうさ
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