あいつら》は溝《どぶ》の水で沢山だ」
 國「だがねえ旦那え、それは好《い》いが、お前《めえ》さん藪《やぶ》を突《つッつ》いて蛇を出してはいけませんぜ、是りゃアとんでもない喧嘩になりますぜ」
 文「なぜ」
 國「何故ったってお前《めえ》さん、溝《どぶ》の中へ投《ほう》り込まれて黙っている奴はねえ、殊に相手は剣術遣い、兄弟弟子も沢山有りましょう、構ア事はねえ押込んで往《い》けと二十人も遣《や》って来られた日にゃ大騒ぎですぜ」
 文「それは来る気遣《きづかい》はない、心あるものなら師匠が止める、私《わし》は顔を隠して置いたから相手は知れない、そこで溝へ投り込んだのは私《わし》だか何《なん》だか訳が分らないから、心ある師匠なら一時《いちじ》止まれと言って止めるなア」
 國「師匠に心が有るか無いか知りませんけれども、お前《めえ》さん喧嘩に往くのに断って出るものが有りますか、私達《わっちたち》が湯屋で間違《まちげえ》をして拳骨の一ツも喰《くら》って来て、友達が之《これ》を聞いて外聞が悪いから押して往けと言う時に、親方へ一寸《ちょっと》喧嘩に往って来ますと断って出る者は有りますめえ、密々《こそ/\》と抜け出して出し抜《ぬけ》にわッと云って、大勢が長いのを振舞わして此処《こゝ》へ遣って来られた日にゃ大変じゃありませんか」
 文「もしや来たらお浪を遣《よこ》して私《わし》に知らせろ、そうして私《わし》の来る間|手前《てめえ》は路地口の処へ出て掛合っていろ、手前《てまえ》は此の長屋の行事でございますが、何《ど》ういう訳で左様に長い物を振《ふる》って町家《ちょうか》をお荒しなさいまする、その次第を一応手前にお告げ下さいと云って出ろ」
 國「そりゃ否《いや》だね、行事だ詰らねえ事を云う、面倒臭いと斬られてしまいましょう、否《い》やだアねえ」
 文「若《も》し来たら知らせれば宜《よ》い、左様なら」
 と足を早めて往《ゆ》きますから、
 國「もし旦那、もし、あれだもの仕様がない、あれ旦那」
 と云うを耳にも止めず文治郎は平気《すまし》て帰って往《ゆ》きます。國藏は頻《しき》りに心配して大家さんへ届けたり、自身番を頼んだりぐる/\騒いで居りますると、文治郎の鑑識《めがね》に違《たが》わず、それっ切り仕返しにも来ませんでしたが、後《のち》に小野庄左衞門は蟠龍軒から怨《うらみ》を受け、遂に復讎《ふくしゅう》の根と相成りまするが、お話変ってこれは十二月二十三日の事で、両国《りょうごく》吉川町《よしかわちょう》にお村と云う芸者がございましたが、その頃|柳橋《やなぎばし》に芸者が七人ありまする中で、重立《おもだ》った者が四人、葮町《よしちょう》の方では二人、後《あと》の八人は皆《み》な能《よ》い芸者では無かったと申します。丁度深川の盛んな折でございます、その頃|佐野川市松《さのがわいちまつ》という役者が一と小間置《こまおき》に染め分けた衣裳へ工夫致しましてその縞《しま》を市松と名《なづ》けて女方《おんながた》の狂言を致しました時に、帯を紫と白の市松縞にして、着物を藍《あい》の市松にしたのが派手で、とんだ配合《うつり》が好《よ》いと柳橋の芸者が七人とも之を着ましたが中にも一際《ひときわ》目立って此のお村には似合いました処から、人之を綽名《あだな》して市松のお村と申しました。年は十九歳で親孝行で、器量はたぎって好《よ》いと云うのではありませんが、何処《どこ》か男惚《おとこぼ》れのする顔で、愛敬靨《あいきょうえくぼ》が深く二ツいりますが、尺《ものさし》を突込《つッこ》んで見たら二分五厘あるといいますが、誰《たれ》か尺を入れたと見えます。其の上しとやかで物数《ものかず》を云わず、偶々《たま/\》口をきくと愛敬があってお客の心を損ねず、芸は固《もと》より宜《よ》し、何一つ点を打つ処はありませんが、朝は早く起きて御膳焚《ごぜんたき》同様にお飯《まんま》を炊き、拭掃除《ふきそうじ》を致しますから、手足は皹《ひゞ》が絶えません、朝働いて仕まってからお座敷へ出るような事ですから、世間の評が高うございます、此の母親《おふくろ》はお崎《さき》婆《ばゞあ》と申しまして慾張《よくばり》の骨頂でございます、慾の国から慾を弘めに参り、慾の新発明をしたと云う、慾で塊《かたま》って肥《ふと》って居りまする。慾肥《よくぶと》りと云うのはこれから始まりました。娘お村に稼がせて自分は朝から酒ばかりぐび/\飲んで居りますると、矢張り此の頃の老妓《あねえ》で、年は二十七歳に相成りまする、お月と申します脊《せい》はすっきりとして芸が好《よ》く、お座敷でお客と話などをして居ります間に取持《とりもち》が上手と評判の芸者でありました。此の頃の老妓は中々見識のあったもので、只今湯に出かけまする姿ゆえ、平常着《ふだんぎ》
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