してやると云うて掛合った処が、頑固な爺《じゞい》で、馬鹿|呼《よば》わりをして先生もお腹立であったが、今まで耐《こら》えて居《お》った、貴公が行《ゆ》けば阿部|忠庵《ちゅうあん》とでも云えば宜しい、向うは学者で医学の書物を読んで居《お》るから答えが出来ぬでは困るからね」
忠「此方《こっち》は些《ちっ》とも知らぬから書いて呉れぬといけない」
穗「宜しい、書きましょう」
硯箱を取って細かに書きまして、
穗「さアこれで宜しい、此の薬を服《の》めば必ず全快致す、服薬の法もあります」
忠「医者の字は読めぬね、何《なん》ですえ、明《あきら》かの樓《たかどの》の英《はなぶさ》の」
穗「そんな読みようはない、明《みん》の樓英《ろうえい》の著《あら》わした医学綱目《いがくこうもく》という書物がある、その中《うち》の蘆膾丸《ろかいがん》というのが宜しい」
忠「成程、蘆膾丸か、幾つも名がありますねえ」
穗「それは薬の名だ」
忠「成程、棒が二本書いてある」
穗「蘆膾丸だから棒が二本あるのだ」
忠「成程、それからウシのキモ」
穗「ウシのキモでは素人臭い、牛胆《ぎゅうたん》」
忠「それからカシワゴ」
穗「カシワゴではない柏子仁《はくしじん》」
忠「えー、アマクサ」
穗「アマクサではない、甘草《かんぞう》」
忠「成程甘草」
穗「羚羊角《れいようかく》、人参《にんじん》、細辛《さいしん》と此の七|味《み》を丸薬にして、これを茶で服《の》ませるのだ」
忠「成程」
穗「鴨川壽仙は針の名人だ、昼間|傘《からかさ》を差し掛けて其の下へ寝かして置いて、白目の処へ針を打つと、其の日に全快する」
忠「えらいものだね、真珠に麝香に真砂《しんしゃ》に竜脳の四|味《み》を細末《さいまつ》にして、これを蜂蜜で練って付ける時は眼病全快する、成程、宜しい、これを持って行《ゆ》きましょう」
穗「それを出して読むようではいかぬから暗誦して」
忠「宜しい、先生恐入りましたが羽織がこれではいけませんから、無地のお羽織を願います」
蟠「これをやろう」
とこれから無地の羽織を着て阿部忠五郎が小野庄左衞門の宅へ参りました。庄左衞門の宅では、神ならぬ身のそんな事とは知りませんから、娘が親父《おやじ》の側に居りまして内職を致して居ります。
忠「御免下さい」
ま「何方《どちら》から入《いら》っしゃいました」
忠「小野庄左衞門殿のお宅は此方《こちら》かな」
ま「お父様《とっさま》、何方《どなた》か入っしゃいました」
庄「此方へお通り下さい……初めまして手前小野庄左衞門と申す武骨者、えー何方様《どなたさま》でございますか」
忠「手前は医者で阿部忠いえなに忠庵という者で、親父から譲られた書物がござるが、虫が付きますから版本にしたいと思いまして、就《つい》ては貴方は筆耕の御名人と承わり筆耕をして戴きたいと思います」
庄「それは折角のお頼みではございますが、手前眼病でな、誠にお気の毒ではございますが」
忠「それはいけません、誰か医者に診て貰いましたか」
庄「はい、新井町《あらいまち》の秋田穗庵という医者に診て貰いました」
忠「彼《あれ》はいけません、あんな医者に掛ると目をだいなしにして仕舞います」
庄「私《わたくし》の目は外障眼でありませんで内障眼でございます」
忠「治らぬと申しましたか」
庄「種々《いろ/\》やりましたが全快|覚束《おぼつか》ないということでございます」
忠「それでは私《わたくし》の家法の薬がありますから唯《たゞ》差上げましょう、其の代りに全快の上は筆耕を書いて戴きたい」
庄「有難いことで、唯薬を戴けば全快次第書いて上げるのは無論でございますが、どうか頂戴したいものでございます」
忠「これは家伝の薬で功能は立処《たちどころ》にある」
庄「どういう薬法でございますか」
忠「薬法、なんでございますな…」
どうも教わりたてゞございますから能く分りません、向うは盲人《めくら》だから書いた物を出して見ても宜しいが、娘が居りますから、
忠「姐《ねえ》さん、お気の毒でございますが水が飲みとうございますから、冷たいお冷水《ひや》を一杯戴きたいもので」
庄「これ水を上げるが宜しい」
娘が水を汲みに出て行《ゆ》きましたから、扇へ書いたのをそっと出して見まして、
忠「家法の薬は蘆膾丸と申しまして」
庄「ハー蘆膾丸と申しますか、どういうお書物に在《あ》りましたか」
忠「其の書物は明《あきら》かの樓《たかどの》いえなに明《みん》の樓英の著わした医学綱目という書物がある」
庄「医学綱目、成程一二度見たことがありました、はゝアどういうお薬でございますか」
忠「それはその七|味《み》あります、これは蘆膾丸というのです」
庄
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