事があるだろう、自分の悪いことを隠してはいかぬ、讎《かたき》を取って貰いたければ私《わし》に話しなさい、又趣意に依《よ》って話をつけてお前の顔の立つ様にもしよう、そうじゃないか」
友「へー有難い/\、森松さんお出でなさい」
森「今|漸《ようや》く私《わっち》の顔が分ったのか、しょうがねえ、おい水を飲みなせえ」
文「どう云う訳かえ」
友「へー、この二月|月末《つきずえ》、本所北割下水大伴蟠龍軒と云う剣術遣いの先生の舎弟の蟠作と云うものが店へ来て、誂《あつら》え物があるから宅へ来いと云われるから、度々《たび/\》参りますと、結構な品々を買ってくれ、御馳走をして祝儀をくれ、有難い得意が出来たと思い、足を近く参りました、そうすると向うでも、度々参りますから私《わたくし》の好き嫌いも知るようになりました、後月《あとげつ》十一日に私《わたし》が参りますと、阿部忠五郎と云う人が舎弟の蟠作と碁を打って居りまして、私の碁の好きなのを知って、碁を打て/\と云いますから、私も相手になって一二番打つと、遂《つい》に賭碁にしろと云い、初めは私《わたくし》が勝ちましたが、段々仕舞に負けまして、大伴蟠龍軒から金を借りましたので、すると百両と纒《まと》まった金だから証文にしろ、若し金が滞《とゞこお》ったらば抵当《かた》に女房お村を召使に上げるということを証文|表《おもて》に書き、それもほんの洒落だからと申しますから、冗談の心持で阿部忠五郎と云う奴に証文を書いて貰って、うっかり印形を捺《お》したのです」
文「それはまア飛んだ目に遇った、企《たく》んでいたのだな」
友「企んだって企まないってそれ程とは存じません、門弟衆にはお旗下《はたもと》もあり、お歴々もあるから、よもやそんな真似はしようとは思いませんが、前々《ぜん/\》からお村に惚れていた故|欺《だま》したのです」
文「それからどうした」
友「それで百両負けて仕舞って、晦日《みそか》に言訳に行《ゆ》くと、宜しい、返さなくっても宜しいと申し、客があるから一両日お村を貸せと云うから働きに連れて行くと、昨日《きのう》まで返しません、余《あんま》り返しませんから、お村を迎いに行くと、金を返さぬからお村を蟠作の妾にして毎晩抱いて寝て、手前の方へは返さぬから金を持って来いと云うから、私はどうも恟《びっく》り致しました、余《あんま》りでございますから七所借《なゝとこがり》をして金を持って参り、突き付けまして、お村を返せと云うと、旦那様、お崎|婆《ばゞあ》も大伴へ参って居ります、其の上お村がお前のような意気地《いくじ》なしの女房になるのは厭だと云い、婆《ばゞあ》は手前には娘を遣らぬと申し、皆向うへ附いて口惜しゅうございますから、お村に文治郎様に義理が済むまいと申しますと、お村とはなんだ、お村様と云え、様を附けろと云うから、糞《くそ》でも喰《くら》え、それじゃア騙りだと云うと、私《わたくし》の頭を鉄扇で打ち、門弟が髻《たぶさ》を取って引摺り出し、打ち打擲するのみならず、割下水へ倒《さか》さまに突込《つきこ》まれて私《わたくし》は半分死んで居ります」
文「憎い奴だなア」
友「憎いって憎くねえって、森松さん可愛そうと思って下さい」
森「酷《ひど》い奴で、彼奴《あいつ》は悪党でげすな、旦那」
文「ふーん、それで百両返しにいって其の百両はどうなった」
友[#「友」は底本では「文」と誤記]「百両借りた証文が三百両となりました、百と云う字と金の字の間へ三の字を平ったく書いたのですから、騙りと云うのは当然《あたりまえ》でげしょう」
文「其の金はどうした」
友「其の金は其処《そこ》へ置いて掛合ったので」
文「持って帰ったか」
友「掛合中に突然《いきなり》に引摺り出されたから目の前にあっても取る事は出来ません」
文「成程、至極尤もだ、友さん如何《いか》にもお前は善人だ、金と女房を取られた上に打《ぶ》たれて気の毒千万だ、私は母に誡《いまし》められて喧嘩の中へ這入《はい》ることは出来ません、素《もと》より人の掛合に頼まれることはせぬ積りだが、どう云う訳か去年の暮から別懇になったからして如何にも気の毒だから、私が往《い》って百両の金だけは取返して上げまいものでもないが、女房お村の取返しは御免だ、其の位企みをして妾にしようとするお村を取返さんとすれば面倒になり、どのようなる理不尽なことをするか知れぬ、其の時は引くに退《ひ》かれぬ場合になる故に、お村を取返すことは私《わし》は頼まれぬ、お村は諦めな、あれはいかぬ、お前の為にならぬ女だ、あれが了簡の不実なのは見抜いて知っている」
友「旦那様、そう仰しゃいますが、私《わたくし》はあれは諦らめられません、私《わたし》は彼奴《あいつ》故主人を失策《しくじ》り、友達には笑われ、
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