びに往《ゆ》きますよ」
 あ「こんな事を云って、私が一生懸命の事を云うが、お前|叶《かな》えておくれか」
 森「何《なん》の事ですか、あなたの云う事なら聴きますともさ」
 あ「女の口からこんな事を云って聴かないと恥をかくからさ」
 森「聴きますよ、えゝ聴きますとも」
 あ「蔑《さげす》んじゃアいけないよ」
 森「蔑すむ処《どころ》か上げ濁《にご》しますよ」
 あ「本当に無理な事を云って蔑んではいけないよ」
 森「それとも…私《わっち》のような者に惚れる訳はないもの」
 あ「あれさお前じゃアないよ」
 森「私《わっち》じゃアねえ、然《そ》うだろうと思った」
 あ「お前の処《とこ》の文治さんにさ」
 森「こりゃア呆《あき》れたねえ、こりゃア惚れらア、男でも惚れやすねえ」
 あ「男振《おとこぶり》ばかりじゃアないよ、世間の様子を聞くと、お前の所の旦那は下《しも》の者へ目をかけ、親に孝行を尽すと云うことだから私アつく/″\惚れたよ、何《ど》うせ届かないが森さん、私が一人で暮すようになれば旦那を連れて来ておくれ、お酒の一杯も上げたいから」
 森「こりゃア惚れますねえ、宅《うち》の旦那には女ばかりじゃアねえ男が惚れやすが、堅いからねえ、何《ど》うとかして連れて往《ゆ》きましょう、私《わっち》が旦那を連れて新道《しんみち》を通る時、お前さんが森さんお寄んないと云うと、私《わっち》が旦那こゝは先《せん》に宅《うち》の裏にいた藤原の御新造《ごしんぞ》の家《うち》だから鳥渡《ちょっと》寄りましょうと云うので連れ込むから」
 あ「私ア素人っぽい事をするようだが、手紙を一本書いておいたから、旦那の機嫌の好《い》い時届けておくれ」
 森「大形《おおぎょう》になりやしたなア、こりゃアお前さんが書いたのかね」
 あ「艶書《いろぶみ》が人に頼まれるものかね」
 森「それじゃア機嫌の好い時に届けやしょう」
 と云って互いに別れて宅《うち》へ帰って、森松は文治に云おうかと思ったが、正しい人ゆえ、家《うち》にいても品格を正しくしているから口をきく事が出来ません。或日の事母が留守で、文治が縁側へ出て庭を眺《なが》めて居りますから、
 森「旦那え」
 文「何《なん》だの」
 森「今日《こんち》は誠に結構なお天気で」
 文「何だ家《うち》の内で常にない更《あらた》まってそんな事を云うものがあるものか」
 森「何時《いつ》でも御隠居さんが、文治に好《い》い女房《にょうぼ》を持たせて初孫《ういまご》の顔を見てえなんて云うが、あんたは御新造をお持ちなせえな」
 文「御新造を持てと云っても己《おれ》のような者には女房《にょうぼ》になってくれ人《て》がないや」
 森「えゝ、旦那が道楽の店でも出せば娘っ子がぶつかって来ますが、旦那は未《いま》だに女の味を知らねえのだから仕方がねえや、何《どん》なのが宜《よ》うごぜえやすえ、長いのが宜うがすかえ、丸いのが宜うがすかえ」
 文「それは長いのが宜《い》いと思っても丸いのを女房《にょうぼ》にするか皆縁ずくだなア」
 森「裏へ越して来た藤原の御新造は何《ど》うです」
 文「左様々々、彼《あれ》は美人だの」
 森「なアに、そうじゃアありやせん、彼は何《ど》うです」
 文「大層世辞がいゝの」
 森「彼は何うです、彼になせえな」
 文「彼になさいと云っても彼は藤原の女房《にょうぼう》だ」
 森「女房じゃアありません、来月別れ話になって、これから孀婦《やもめ》暮しにでもなったら、旦那を連れて来てくれってんです」
 文「嘘をいうな」
 森「嘘じゃアねえ私《わっち》を立花屋へ連れて往って御馳走をして、金を二|分《ぶ》くれて、旦那を斯《こ》うと云うのです」
 文「嘘を吐《つ》け」
 森「嘘じゃアありやせん、この文《ふみ》を出して、何《ど》うか返事を下さいってんでさア、返事が面倒なら発句《ほっく》とか何《な》んとか云うものでもおやんなせえ」
 文「これは彼《あ》の女の自筆か」
 森「痔疾《じしつ》なんざアありやせんや、瘡毒《とや》に就《つい》て仕舞っているから」
 文「そうじゃアない彼の女の書いたのか」
 森「先《せん》にゃア人に頼んだろうが、今じゃア人には頼めやせんや」
 文「何《なん》だってこれを持って来た」
 森「何《なん》だってって旦那に返事を書いて貰ってくれと云うから」
 文「痴漢《たわけ》め」
 森「あゝ痛《いて》い、何をするんで」
 文「苟《かりそめ》にも主《ぬし》ある人の妻《もの》から艶書を持って来て返事をやるような文治と心得て居《お》るか、何《なん》の為に文治の所へ来て居る、汝《わりゃ》ア畳の上じゃア死《しね》ねえから、これから真人間になって曲った心を直すからと云うので、己の所へ来ているのじゃアないか、人の女房から艶書を貰うような不義の文治
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