話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋|善右衞門《ぜんえもん》の所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣《つか》い込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私《わし》が通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧《やか》ましく云えば、水の出花の若い両人《ふたり》、復《ま》た駈出して身を投げるかも計られないから、何《ど》うか私《わし》に面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私《わし》が入り、媒妁《なこうど》となって夫婦にして末永く添遂《そいと》げさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様|仰《おっし》ゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々|宛《ずつ》追々に入金すれば宜しい、併《しか》し暖簾《のれん》はやる事は出来ないが、貴方《あなた》が仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物《しろもの》も貸してやりますが、当人の出入《でいり》は外《ほか》の奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大《おおい》に悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町《どうぼうちょう》に居るお村の母親お崎|婆《ばゞあ》の所へ参りました。
文「森松、己《おれ》は斯《こ》う云う所へ来たことはないから手前が先へ往《ゆ》け、此処《こゝ》じゃアないか」
森「此処です……御免ない、お村さんの宅《うち》は此方《こっち》かえ」
文「なんだ愚図々々分らんことを云って、丁寧に云えよ」
森「丁寧に云い付けねえから出来ねえ……お村さんの処は此方《こちら》かね」
さき「はい、誰だえ、お入りよ、栄《えい》どんかえ」
森「箱屋と間違えていやアがらア」
と云いながら、栂《つが》の面取格子《めんとりごうし》を開けると、一|間《けん》の叩きに小さい靴脱《くつぬぎ》がありまして、二枚の障子が立っているから、それを開けて文治が入りました。其の姿《なり》は藍微塵《あいみじん》の糸織の着物に黒の羽織、絽色鞘《ろいろざや》に茶柄《ちゃつか》の長脇差を差して、年廿四歳、眼元のクッキリした、眉毛《まゆげ》の濃い、人品|骨柄《こつがら》賤《いや》しからざる人物がズーッと入りましたから、婆《ばゞあ》はお客様でも来たのかと思って驚き、
婆「さア此方《こちら》へ、何《ど》うも穢《きたな》い処へ能く入っしゃいました」
文「御免なさい、始めてお目に懸りました、お前さんがお村さんのお母《っか》さんですか」
さ「はい、お村の母でございますよ、毎度|御贔屓《ごひいき》さまになりまして有難うございます、宅にばかり居りますから、お座敷先は分りませんで、お母《っか》さん斯う云う袂落《たもとおと》しを戴いたの、ヤレ斯う云う指環《ゆびわ》を戴いたのと云いましても、私《わたくし》にはお顔を存じませんから一向お客様の事は存じませんが、彼《あ》の通りの奴で何時《いつ》までも子供のようですから、冗談でもおっしゃる方がありますと駈け出して仕舞う位で、お客様に戴いた物でも持栄《もちばえ》がございません、指環を嵌《は》めてお湯などへ往ってはげるといけないと云うと、はげやアしない真から金《きん》だものなどと申して誠に私《わたくし》も心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様《あなたさま》は番町の殿様で」
文「いや手前は本所業平橋に居《お》る浪島文治郎と申す至って武骨者、以後幾久しくお心安く」
さ「はい、業平橋と云う所は妙見様《みょうけんさま》へ往《ゆ》く時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生《ながいき》をいたしますよ、彼処《あすこ》がお下屋敷《しもやしき》で」
文「いえ/\、私《わし》は屋敷などを持つ身の上ではありません、無禄の浪人です、お母《っか》さん実はお村さんのことに就《つ》いて話があって来ましたが、お村さんは私《わし》の処へ泊めて置きましたが、お知らせ申すのが遅くなりましたから、嘸《さぞ》お案じでございましょうと存じまして」
さ「おや、お村があなたの所に、そんなら案じやしませんが、朝参りに平常《ふだん》の姿《なり》で出ました切《ぎ》り帰りませんから、方々探しても知れませんでしたが、貴方様の所へ往《い》っていると知れゝば着替えでも届けるものを、何時《いつ》までもお置きなすって下さいまし、安心して居りますから」
文「いやそう云う訳ではない、お母さんが聞いたら嘸お腹立でしょうが、実は芝口の紀の善の番頭友之助がお村さんと昨年来深くなり、其の友之助もお村さんゆえ多くの金を遣い果し、お村さんも借財が出来、互いに若い同士で心得違いをやって、実は昨夜牛屋の雁木で心中する所を、計らず私《わし》が助けたから、直ぐにお村さんばかり連れて来ようと
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