業平文治漂流奇談
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂編纂

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)由縁《ゆかり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)以前|下谷《したや》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「し」に「本ノマヽ」と注記]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いと/\
   細々《こま/″\》(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)
−−


 むかしおとこありけるという好男子に由縁《ゆかり》ありはらの業平文治《なりひらぶんじ》がお話はいざ言問わんまでもなく鄙《ひな》にも知られ都鳥の其の名に高く隅田川《すみだがわ》月雪花《つきゆきはな》の三《み》つに遊ぶ圓朝《えんちょう》ぬしが人情かし[#「し」に「本ノマヽ」と注記]ら有為転変《ういてんぺん》の世の態《さま》を穿《うが》ち作れる妙案にて喜怒哀楽の其の内に自ずと含む勧懲の深き趣向を寄席《よせせき》へ通いつゞけて始めから終りを全く聞きはつることのいと/\稀《ま》れなるべければ其の顛末《もとすえ》を洩さずに能《よ》く知る人はありやなしやと思うがまゝ我儕《おのれ》が日ごろおぼえたるかの八橋《やつはし》の蜘手《くもで》なす速記法ちょう業《わざ》をもて圓朝ぬしが口ずから最《い》と滑らかに話しいだせる言の葉をかき集めつゝ幾巻《いくまき》の書《ふみ》にものしてつぎ/\に発兌《うりだ》すこととはなしぬ
 明治十八年十一月   若林※[#「※」は「おうへん+甘」、序−6−9]藏識

  一

 此の度《たび》お聞きに入れまするは、業平文治漂流奇談と名題《なだい》を置きました古いお馴染《なじみ》のお話でございますが、何卒《なにとぞ》相変らず御贔屓《ごひいき》を願い上げます。頃は安永年中の事で、本所《ほんじょ》業平村《なりひらむら》に浪島文治郎《なみしまぶんじろう》と云う侠客《きょうかく》がありました。此の人は以前|下谷《したや》御成街道《おなりかいどう》の堀丹波守《ほりたんばのかみ》様の御家来で、三百八十石頂戴した浪島文吾《なみしまぶんご》と云う人の子で、仔細あって親|諸共《もろとも》に浪人して本所業平村に田地《でんじ》を買い、何不足なく有福に暮して居《お》りましたが、父文吾相果てました後《のち》、六十に近い母に孝行を尽し、剣術は真影流《しんかげりゅう》の極意を究め、力は七|人力《にんりき》あったと申します。悪人と見れば忽《たちま》ち拳《こぶし》を上げて打って懲らすような事もあり、又貧乏人で生活《くらし》に困ると云えば、どこまでも恵んでやり、弱きを助け強きを挫《くじ》くという気性なれども、至極|情《なさけ》深い人で無闇に人を打《ぶ》つような殺伐の人ではございません。只今の世界にはございませんが、その頃は巡査と云う人民の安寧《あんねい》を護《まも》ってくださる職務のものがございませんゆえに、強いもの勝ちで、無理が通れば道理|引込《ひっこ》むの譬《たとえ》の通り、乱暴を云い掛けられても、弱い者は黙って居りますから文治のような者が出て、お前の方が悪いと意見を云っても、分らん者は仕方がありませんゆえ、七人力の拳骨《げんこつ》で打って、向うの胆《きも》を挫《ひし》いでおいて、それから意見を加えて悪事を止《や》めさせ善人に仕立るのが極く好《すき》で、一寸《ちょっと》聞くと怖いようでございますが、能《よ》く/\見ると赤子も馴染むような美男《びなん》ですから、綽名《あざな》を業平文治と申しましたのか、但《たゞ》しは業平村に居りましたゆえ業平文治と付けたのか、又は浪島を業平と訛《なま》って呼びましたのか、安永年間の事でございますから私《わたくし》にもとんと調べが付きませんが、文治は年廿四歳で男の好《よろ》しいことは役者で申さば左團次《さだんじ》と宗十郎《そうじゅうろう》を一緒にして、訥升《とつしょう》の品があって、可愛らしい処が家橘《かきつ》と小團治《こだんじ》で、我童《がどう》兄弟と福助《ふくすけ》の愛敬を衣に振り掛けて、気の利いた所が菊五郎《きくごろう》で、確《しっか》りした処が團十郎《だんじゅうろう》で、その上|芝翫《しかん》の物覚えのよいときているから実に申分《もうしぶん》はございません。文治が通りますと近所の娘さんたちがぞろ/\付いて参りまして、
 娘「きいちゃん、一寸今業平文治さんと云う旦那が入らしったから御覧なはいよ、好《い》い男ですわ、アラ今横町へ曲って行《ゆ》きましたわ、此方《こっち》のお芋屋の前を抜けて瀬戸物屋の前へ出れば逢えますよ」
 と云って娘子供が大騒ぎをするから、お婆《ばあ》さんも煙《けむ》に巻かれて、
 婆「此方《こっち》へ参れば拝めますかえ」
 と遊行様《ゆぎょうさ
次へ
全81ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング