尽し、剣術は真影流《しんかげりゅう》の極意を究め、力は七|人力《にんりき》あったと申します。悪人と見れば忽《たちま》ち拳《こぶし》を上げて打って懲らすような事もあり、又貧乏人で生活《くらし》に困ると云えば、どこまでも恵んでやり、弱きを助け強きを挫《くじ》くという気性なれども、至極|情《なさけ》深い人で無闇に人を打《ぶ》つような殺伐の人ではございません。只今の世界にはございませんが、その頃は巡査と云う人民の安寧《あんねい》を護《まも》ってくださる職務のものがございませんゆえに、強いもの勝ちで、無理が通れば道理|引込《ひっこ》むの譬《たとえ》の通り、乱暴を云い掛けられても、弱い者は黙って居りますから文治のような者が出て、お前の方が悪いと意見を云っても、分らん者は仕方がありませんゆえ、七人力の拳骨《げんこつ》で打って、向うの胆《きも》を挫《ひし》いでおいて、それから意見を加えて悪事を止《や》めさせ善人に仕立るのが極く好《すき》で、一寸《ちょっと》聞くと怖いようでございますが、能《よ》く/\見ると赤子も馴染むような美男《びなん》ですから、綽名《あざな》を業平文治と申しましたのか、但《たゞ》しは業平村に居りましたゆえ業平文治と付けたのか、又は浪島を業平と訛《なま》って呼びましたのか、安永年間の事でございますから私《わたくし》にもとんと調べが付きませんが、文治は年廿四歳で男の好《よろ》しいことは役者で申さば左團次《さだんじ》と宗十郎《そうじゅうろう》を一緒にして、訥升《とつしょう》の品があって、可愛らしい処が家橘《かきつ》と小團治《こだんじ》で、我童《がどう》兄弟と福助《ふくすけ》の愛敬を衣に振り掛けて、気の利いた所が菊五郎《きくごろう》で、確《しっか》りした処が團十郎《だんじゅうろう》で、その上|芝翫《しかん》の物覚えのよいときているから実に申分《もうしぶん》はございません。文治が通りますと近所の娘さんたちがぞろ/\付いて参りまして、
娘「きいちゃん、一寸今業平文治さんと云う旦那が入らしったから御覧なはいよ、好《い》い男ですわ、アラ今横町へ曲って行《ゆ》きましたわ、此方《こっち》のお芋屋の前を抜けて瀬戸物屋の前へ出れば逢えますよ」
と云って娘子供が大騒ぎをするから、お婆《ばあ》さんも煙《けむ》に巻かれて、
婆「此方《こっち》へ参れば拝めますかえ」
と遊行様《ゆぎょうさ
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